Please, please please…

佐藤みたお(@sattonMS )さんに描いて頂いた
イラストから思い付いたお話です。
テーマはラグジュアリー監禁


「一生のお願い。神様仏様さっちゃん様。一回だけだから!」

激しく眉をひそめた僕・大井咲樹(おおい さき)の眼の前で、パチンと手のひらが合わされた。恋人の秀一(しゅういち)から「一生のお願い」で拝まれるのは何度目になるだろう。

「はあ……」

 毛足の長い大型犬のような姿の恋人に泣きつかれる度、こめかみをジンジン痛ませながら「またか」と呆れる。
 だけど拝まれたその一分後に僕は、たいして分厚くない財布からその時ある一番大きな札を渡してやって、時には秀一が仕事でやらかしたヘマの尻拭いに向かうのだった。
 冷凍倉庫で延々カニクリームコロッケを右から左へ運び続けた一件が、僕にとっては一番辛い頼まれごとだった。しばらく暑い寒いの感覚が消え去り、風呂を温めすぎて火傷をしかけ、真冬にTシャツでうろうろしたせいで酷い風邪引きの年越しになった。

「……やだよ」

 でも今回ばかりは心を鬼にして嫌だと言った。秀一の頼みが「借金の返済代わりに一晩別の男と過ごして下さい」なんてとんでもない頼みだったからだ。
  
「一晩過ごす」イコール「エッチする」ってことぐらい、名前と間逆の頭脳レベルの秀一だって重々分かっているはずだ。あんまりじゃないかと俯いた僕は、口を結んで涙を浮かべた。

「絶対……ムリだから」

 セルフうどん屋で延々うどん(そばもあるよ!)を茹でて稼いだ金を渡すことも、休日に肉体労働して助けてやることも了承する僕だったけれど、自分の身体そのものを差し出すことには抵抗が……いや、生理的な嫌悪感がある。気軽に浮気しまくる秀一と違って、僕は普通に身持ちが良いのだ。
 幼馴染の腐れ縁だった秀一から「一生のお願い」をされて(そういやその時もそうだったな!)肉体関係を持ったのは、十分な情と愛情があってのことだ。僕は秀一以外の男を…というか、女の子も知らない。

「無理無理……ありえない」

 かなりハッキリ断っているけれど、秀一は諦めてくれない。いつも困ったような眉をさらにハの字にして見せて、僕の優しさと弱さに訴えてくる。

「一晩だけなんだ……芦田さんは紳士だから大丈夫。なんせジェントルアシダだし」

 何だそれと首を傾げた僕に、秀一は悪気なく言ってのけた。

 ジェントルアシダってのが、そのお金持ちの上客を店の女の子がこっそり呼ぶあだ名だってこと。秀一が借りたお金が100万円だってこと。
 そして、半年間借金を一円も返さなかったこと。とうとう返済について尋ねられて金が無いと答えたら、代わりに一番大事なものを預かりたいと言われたこと。

「俺の大事なものって咲樹だろ? だから人間はチョットって言ったら、一晩でいいって。それで借金チャラだって。神様だろう」
「……しゅう……ひゃくまんも、かりてたんだ……」

 僕は絶句した。
 どうやって返すつもりだったんだ、何に使ったんだ、半年間一円も返してないって、その間僕はお前にお金渡したこと何回もあるのにどうしてなんだと思いつつ、眉をハの字にしておずおず僕を見る秀一を見るとどうにも可哀そうになって、

「わかったよ……」

 頷いてしまう僕の方が、大概バカだった。
不承不承頷いた僕を秀一は強い力で抱きすくめる。そうされると、孤独な僕はとても弱い。

「さっちゃん様……! 明日、俺仕事休んで待ってるから一杯いちゃいちゃしような! 夜は何でも好きなメシ作ってやるよ。何がいい?」
「じゃあ……塩やきそば……」
「エビ入りか?」
「……ううん、イカ……」
「オッケーオッケー! イカな! ピッチピチのイカ釣ってくるよ!」

──釣るつもり……!

「バカじゃん……!」

 不覚にも笑ってしまった僕は、秀一に肩を抱かれて、普段はビル風を生みだす邪魔っ気な存在としか思えない高層キラキラホテルへ足を踏み入れた。空気が高級だ、すれ違う人が高貴だとはしゃぐ秀一のことは恨めしいけど、これも惚れた弱みだから仕方が無い。実際秀一の話を聞く限り、ジェントルアシダが僕に手を出す確率は低いように思えた。もしかしたら挨拶早々お役御免で解放されて、一緒にイカ釣りに行けるかも。

「はじめまして、芦田です」

 実際、紹介された芦田さんは若くて(なんと二つも年下だった)イケメンでオシャレで(長髪を一つにくくって気持ち悪くないなんて奇跡だ)品が良い上スタイル抜群だった。そして、黒服でありながら客から借金して踏み倒そうとする秀一に、とても丁寧な言葉遣いをする。

「本当にいいんですか? 秀一さんの一番大事な……恋人なんですよね?」

 一方、芦田さんの大きな手のひらに頬を包まれている僕を「どうぞどうぞ、好きに遊んじゃってください」なんて差し出すような仕草をする秀一は、バカを超えてクズそのものだった。まあ薄々感じてはいたけど、ここまで人としての「差」を見せつけられてはいくらバカ仲間の僕でもいたたまれない。

「ごめん、いや、スミマセン……なんか、秀一が迷惑掛けて……」

 二人きりになった途端、俺は芦田さんに不甲斐ない彼氏のことを謝った。
 
「ちゃんと、返させ、ます、ので……」

 汚くは無いけど絶世の美少年でも無い自分に一晩100万の価値なんかとてもない──僕はぐるりと部屋を見回して項垂れた。僕の一間とキッチンだけのアパートが、視界に入る空間だけでいくつ取れるだろう。なんなら、僕の住む鉄骨2階建てがすぽっとはいってしまいそう。

「とりあえずこれ……」

 こそこそジーンズのお尻のポケットから出したぺちゃんこの財布を、芦田さんはクスリと笑って拒絶して、代わりに装飾品のような優雅なカップに入った紅茶を勧めてくれた。ドコソコのナントカフラッシュという茶葉だそうだ。おずおず飲んでみると、全然渋く無くて温度も丁度良くて美味しくて、これが本物の紅茶なのかと驚いた。

「気に入った? そう固くならずリラックスしてよ。お菓子もたくさんあるから……ああ、そうだ。お腹が空いていたら食事も」

 言われた途端にお腹がささやかに返事をした。そういえば、朝秀一に叩き起こされてから水も飲まずに説得し続けられていたのだった。

「はい。メニューをどうぞ」

 どうやら聞かれてしまったらしく、優しい微笑みと共に差し出されたメニューには、好物の塩やきそばは無かったものの、僕がこの世で一番のご馳走と認識しているハンバーグがあった。「山形ビーフ100%ハンバーグプレート 3種のソースと彩り野菜のグリルを添えて」言葉だけで早くも美味しそうで、ごくんと喉が鳴る。

「どれ?」

 芦田さんは年下と思えないくらいの余裕を纏って手元のメニューを覗きこむ。良い香りをさせながら、視線をうろうろさせる僕の様子で「これだね」と目当ての一品を言い当てた。

「う……」

 一応断りはした。借金のカタがご馳走になってどうするんだって。だけど芦田さんはまたゆっくり首を振り、ハンバーグを注文してくれた。

「美味しい?」

 僕は年上の癖に「ハイ」と返事をしてしまう。芦田さんはニコニコしながら優雅なソファで優雅に足を組み、がっつかぬよう気をつけるけどがっついてしまう僕を見ている。ソース一滴残らないくらい綺麗に食べ終わった後、ワイングラスに入った水を飲んでいるところもずっと。

「……ご馳走様、でした……」

 そもそもこれはおごりなのだろうか、判別がつかぬままお礼を言って、チラと視線を合わせてみれば、芦田さんはやっぱり微笑んだまま、事もなげに言った。

「じゃ、しようか」

 何を。そんな風に聞き返してしまいそうな爽やかさだった。

 だから始まってしばらくは、僕は案外大胆なことするな、なんて拍子抜けしながらも、どこか安心していたのだけど──。

 だけど、想像した風にはならなかった。

「……ところで、咲樹君はいくつだっけ」

 にじゅうごさい。答える僕の声は、恥ずかしいくらい震えている。当たり前だ。僕は秀一との初めてを遥かに越えて緊張していて、その上男を相手にするのは初めてに違いないと思っていた芦田さんは手慣れたものだった。それはもう、秀一なんか足元にも及ばないくらい。

「そうか、じゃあ僕より二つ年上だったのか……てっきり十代だって、ずっと」
「あ、あ……っ」

 背筋に沿ってすうと舐められた僕は、ビクンと腰を跳ねさせて、その一言に潜む不思議を聞き逃してしまう。

「細いと思ってたけど、骨が細いってよりは咲樹君は……ああ、咲樹さん、って呼ぶべきか。年上なんだから。てことは咲樹さんは僕を芦田さんと呼ばずに、呼び捨てにすべきだね……いや、下の名前で呼ばれたいな、もう少し慣れたらそうしてもらおう……僕も咲樹って呼び捨てにしたい」

 何かをブツブツ言いながら、愛撫する芦田さんは巧みで、

「ぁ……っは、あ、あ、!」

 僕は途切れ途切れになる呼吸の中で、触ったことが無いほどすべすべした滑らかなシーツをぎゅっと掴んだ。
 足の間は恥ずかしい液体でぐっしょり濡れている。拡げられた穴を出入りする彼の繊細な指は、生々しい音を鳴らしては僕を辱めた。

「こういうのも、してみていい?」

 金属の音に薄ら目を開けると、細く長い棒が僕の濡れて震えるその先端にあてがわれている。何と聞く間もなくそれは小さな小さな穴をこじ開けて、ひゅっと息を吸うその隙間に中にもぐり込んで来た。

「ッ……痛っ、痛……」

 耐えきれずに叫ぶと、「やめた方がいいかな?」穏やかに尋ねられる。気持ちが良くなる筈だけど、とそこを柔らかくつつかれて、僕は言葉をぐっと飲み込んだ。なんせ100万円だ。嫌なことをされたって、我慢しなくちゃいけない。

「無理しないでいいからね?」

 鼻をすすりながら僕は頷き、

──早く、終わって……。

 心の中で強く願った。一晩といったって、ずっとエッチなことをし続けている訳では無いと思う。一回か二回すれば終わりの筈。

 ここを出たら借金が無くなった秀一と、塩焼きそばを食べる。きっとあいつはイカのことは忘れてるから、エビ入りのやつを食べる。それから、それから……。

──いっぱい、やさしくしてもらうんだからな……。

 そう思ってたのに。
 また、僕の思った風にはならなかった。

「ああ、可愛い。咲樹さんはかわいいな……やっぱり、想像通りだ……」

 ちっとも終わらない。僕がもう何も出ないくらいイかされても、なんだか分からない透明な液体を勢いよくそこから吐き出した後も、

「もうやだよう……! 帰りたい、百万、必ず返すから……!」

 泣きながら暴れたって終わらない。芦田さんの口調はずっと穏やかで、だけど僕が拒んで手足を突っ張らせて逃げようとする度、だんだん押さえつける力が強くなってきて、そのうち、話す内容も変化していた。

「咲樹さん、何故いやがるの、気持ち良いはずなのに」
「咲樹さん、たくさん火傷があるね。危険なバイトは辞めた方がいい、辞めようね」
「咲樹ちゃん、秀一は駄目な男だよ。不幸になるから、別れなよ」
「咲樹、今暮らしている部屋、不用心だな。引っ越した方がいい。僕の部屋で一緒に暮らすよ」

 目の前がチカチカして耳鳴りも酷くて、何を言われているかハッキリとは分からないけど「分かった?」と念を押されながら首を絞められてしまっては、頷くことも断ることも出来ない。

「こんなにお願いしてるのに仕方ないなあ……別れない気か……」

 失意のため息を聞きながら、僕はベッドと同化するように意識を失った。

++

 長い長い一晩が開けた。泣きすぎてはれぼったくなった瞼をこすりこすり、僕はヨロヨロと部屋を出た。秀一と入った時はキラキラ眩しかったその場所は、変わらず眩しく美しく、そこはかとなく高級な香りが漂っている。
 それが僕には臭くてたまらなくて、二度とこんな場所に来たくない。

「……ただいま」

 僕はしょんぼり家に辿り着いた。でも、なんとなく扉を開ける前からあった予感の通り、部屋に秀一の姿が無い。

 代わりに一枚の紙があった。それは無作為にポスティングされたチラシの裏で、「さっちゃん幸せにな。ありがとう、バイバイ。待ち疲れた」と間違いなく秀一の下手な字で書かれていた。

「まちつかれたって……? 塩やきそばは……? イカは……?」

 僕はひとりごとを言いながら、秀一の着替えも読みかけの漫画雑誌も汚れたままの食器も何もかもが残された部屋にへたり込んだ。

 そして秀一に電話を何度もかけて、スマホの日付が僕が思っているより三日も先にずれていることに気がついて──大声を上げて泣いた。

「違うよ……! 帰らなかったんじゃないよ、帰れなかったんだ……!」

 叫び疲れ泣き疲れて声が枯れ、突っ伏したまましばらくしてから、秀一が務める店の支配人がやって来た。そしてしれっとその後ろにいるのは、さっきさよならを言ったばかりの芦田さんだ。一晩どころか三日も経ってた、そう訴えた僕に彼は言った。

「僕を責めるのはやめて欲しいな。クズの秀一は店の女の子と消えたんだから」
「え……」

 愕然とする僕に支配人が告げる。秀一は芦田さんに新たな借金をした上、店に勤める女の人と、逃げたと。

「参ったね、咲樹さん。まあ、そういうことだから」

 僕は黙りこくってヨレヨレのジーンズを掴む。秀一が新しく芦田さんにした借金は300万円。女の人が踏み倒した前借りのお金も300万円。本来僕が返す筋合いのものではないし、二人も僕から取り立てるつもりでここに来た訳では無くて、ただ僕に本当のことを伝えたかっただけらしい。

「さ、あの人達に回収頼みますか……ウチもそうですし芦田様が困る額でも無いと思いますが、けじめとして」

 だけど、支配人が大声でそんな思わせぶりを言うから、そして「あの人達」と言うのが裏の世界の恐い人達だと僕にもすぐに分かってしまったから。僕は、

「芦田さん……」

 このお金持ちの人にすがるしかなくなった。この、僕の体を微笑みながら滅茶苦茶にして、僕に自分のものになれと言ったこの「紳士」に。秀一を許してって。僕にお金を貸してって。

「それは、一生のお願い? クズの秀一は半年前も今回も、同じことを言ったけど……」

 一生のお願いなんか聞く気はない。きちんと対価を払え。

「分かるよね?」

 芦田さんはそう言って、出会った頃と同じように僕の頬をさらりと撫でた。

++

「ただいま、サキ。お迎えがないね」

 甘ったるい声に僕は慌てて飛び起きる。だけど、あちこち痛くて急ごうにも足が上手く動かない。長い廊下の長い毛足のじゅうたんに捕まって、派手に転んでしまう。

「ああ、いいよ急がなくて。ケガさせたのは俺だしね」

 僕は、分厚いコートを脱ぎマフラーを解く芦田さんの足元で、今日は一体何月何日なのだろうと一瞬疑問に思う。

「今日も可愛いな、僕だけのサキは」

 だけどそんな疑問を持っても意味は無い。僕はずっと、一生のお願いの対価を払い続けるだけなのだから。

 彼がもう完済、と言うまでずっと。

 
 END

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