「竜の子は楽園で目を醒ますIF3」

IFルート2 「ハッピーエンド・インフェルノ編」
レナが禁忌者であることを直ぐに打ち明け、インフェルノと結ばれたら……のifストーリーです。読者さんからの要望で書きました

短編カテゴリーですがまあまあ長いです、ご注意下さい。

──竜の、楽園……虹の島……。

 眼前に広がる光景にただただ見とれていると、ルールーが何かに気付いたらしい。タタタと軽い足音と共に、テラスの端へ駆け寄った。
 身を乗り出し、小さな手で日差しを遮りながら遠くを見やる。

「あらら? こっちに来るなんて珍しいね」
「ん……本当だ。こんな歓待をするような彼らでは絶対に無いのに。あの夜のことといい、不思議が続くな」

 見る間に僕を助けた緋色の竜と、白っぽくて小さいのが三頭手すりを乗り越えすぐ傍までやって来た。白いのは競って僕を細い鼻先でつつき回した末に旦那様に叱られてキュンと鳴き、赤いのは喉を鳴らしながら僕に花を一輪くれた。それは神様と──旦那様と、同じ香りがする白い花。

「あり……がと……ございます……神竜様……」

 ついつい祈ってしまい、旦那様に苦笑された。

「君はなかなかしつこいな……神様じゃないってのに……むしろ、王様かな。彼は緋竜の純血種であり、混血を含めた緋竜族の若き王だ」

 説明されても、僕はなかなか組んだ手をほどけない。とにかく何かに祈りたかった。
 神様のような人に救われ神様の国のようなところに来た。そんな奇跡が起きたのに、他に誰に祈れば良いのか分からなかったから。
 そして、感謝と同時に覆いかぶさる罪悪感が、僕を「早く」と追い立てる。

「さあ、部屋へ戻ろうか」

 この人ならきっと力になってくれる。そう確信した僕は、傷の上にかつてあった「モノ」──「鱗」のことをすっかり忘れ、手を差し出す旦那様を仰ぎ見た。
 
「あの……お願いがあります……旦那様。どうか話を、聞いてくださ……」

 ところがだ。さらわれた仲間のことを切り出そうとしたその刹那、緋色の竜の大きな顔が、僕と旦那様の間に割り入った。僕が握りこんだ白い花を優しくつんと突き、深い深い緑色の瞳で僕と旦那様を見比べる。何かを訴えるようなその様子に僕は首を傾げ、旦那様は苦味を帯びたため息を吐く。

「……インフェルノ……言わんとすることは承知している。後で俺と話をしよう。一先ずレナを休ませたいし、レナも俺に話があると……」

 だけど、インフェルノと呼ばれた緋竜は大きな頭をぶんぶんと振り、深い赤い鱗に覆われた筋肉質な脚を踏み鳴らして旦那様に抗議する。ギャッギャッと細切れの声まで上げながら。
 その様子は僕が思う「神様」とはかけ離れていて……そう、まるで、駄々をこねる子どものようだ。

「イ、インフェルノ……そろそろ島の巡回の時間じゃないかな。ちょっと一回り飛んで戻ってきて、そしたらこっちの話も済んで、ゆっくり旦那様と話が出来……」
「グア!」
「わあ!」

 ルールーが声をかけるのにも、牙を剥き出し威嚇で返し、全く聞く耳を持たないでジタバタし続けている。

「……ルールー、下がれ。とにかくレナを屋敷へ……」

 旦那様の声には警戒が含まれていた。危ない、そう判断したのだろう。
 けれどインフェルノは、僕を再び抱き上げようと腕を伸ばした旦那様に向かい、太い棘のある尾を振り上げた。

「──……っ!」

 僕の眼前の空気を裂いた鋭い一撃を、旦那様は軽やかに身を躱し、すんでの所で避けた。流石──僕はその敏捷さに見とれたけれど、見えない刃は、分厚い上着とシャツの肩から背にかけてをざっくりと引き裂いていた。
 旦那様は凛々しい顔をゆがめ、やれやれと首を振る。

「……らしくないことを……緋色の王の威厳はどこへ置いてきた?」

 筋肉の形が分かる逞しい背が、露になっている。滑らかな肌も──僕は突然の緋竜の乱暴に呆然としつつも、抱き上げられた時とは違う、胸のざわめきを覚えた。物足りない。あれがない、そうだ──。

──鱗が……無い……旦那様は……。

 里を襲った奴等と同じ「人間」なのだ。

「レナをよく見ろ。こんなに小さく細い生き物と、何をどうするつもりで居る」
「旦那様……微妙に下品だし、大きさの問題じゃないから」
「ン? ああそうか……そうだな。レナは人間だ」

──……。

 僕の唇はあることに思い至り、わなわなと震え始めた。
 旦那様は敗れた衣服を担ぎ上げるようにして肌を隠し、僕に苦笑を落とす。「大丈夫」銀の瞳は優しくそう語りかけてくれるけど、違う。

 僕の代わりをするように、インフェルノがひときわ激しく首を振って、啼いた。

「クゥン……」

 そのひとこえは、神々しく雄々しい姿から発せられたとは思えぬなんとも表現しがたい響きを持っていた。寂しさ、甘え、それから……切なさ。
 それはさっき、僕が旦那様に抱き上げられたときに感じたのと同じものだ。ぎゅうと胸を押し上げる苦しさに似た、不思議な感情。
 暖かいものが胸の奥にぽつりと灯り、すとんと伝わった。「そういうこと」なんだって。

「参ったな……レナ……驚くだろうが聞いてくれ、つまるところ、インフェルノは君に惚れたらしい。緋竜が花を贈るのは、求愛行動にあたる」

 旦那様が気まずそうにそう告げる前に、分かっていた。インフェルノは、僕の中にある竜の血を感じ取って……「同族」として、惹かれたのだ。

 竜性──夜盗たちも、娼館の主人も、僕らのそれを歓迎しなかった。僕に至っては、男であることは良くても鱗があったらダメだって、言ってた。

『キンキモノ』

 彼らが顔を歪めて告げたその言葉は、こちら側の世界ではどんな意味を持つんだろう。確かなのは、良いことじゃないってこと。

──……どうしよう……僕、人間じゃ、ない……。

 不安が募ったせいか、傷がずきずきと痛み始めた。吹いた風が冷たく、僕はカタカタと震えて、手からぽとりと花を落としてしまった。

「あ、レナ……旦那様、レナが」
「しまった……長居をさせすぎたな──なあインフェルノ……種族云々は脇に置くとしてもだ、レナは大ケガをして目覚めたばかりだ。もう少し時間をかけ、ゆっくりと口説くべきではないか?」

 旦那様の声は心地いい。
 けれど、それが逆に僕の息苦しさを強くする。
 目の前に細かい星が飛び、このままだと意識を失ってしまうだろう。だけど、

──言わ……なきゃ……。

「本物の紳士というのはそういうものだ……それから……個人的に男として交渉したい。実を言えば……──」
「だ……旦那様……」

 こらえ切れずに、話を遮った。

「僕は──人間ではありません……竜の子なんです……キンキモノ、なん、です……」

 ルールーの釣り目が大きく見開かれる。旦那様の灰色の瞳も──そして、インフェルノの深い緑色の瞳だけが静かに告げていた。「知っている」と。

「驚いた……」

 そう言いながら、喉を詰まらせ語る僕の一言ごとに、旦那様が長い髪を額からすくい上げては毛先まで通すのはこれで何度目だろう。
 それから、屋敷の壁に大穴を開けて無理やりついて来たインフェルノに視線をやるのも。インフェルノは、僕のふわふわの寝床──「ベッド」の傍に座り込んでじっと動かない。

「そうか……それで……」

 旦那様は大きな大きなため息を吐き、畜生とかそんなのアリか、だとかなんとかぶつぶつ呟きながら部屋をうろうろした後、ルールーに僕のことを誰にも話してはならないときつく口止めした。
 僕が居るこの国では、異種族同士が交わった末に生まれた生き物は隔離しなくてはならないそうだ。「キンキモノ」は「禁忌者」……つまり、禁止され忌み嫌われる存在だった。本来なら管理局なるところへ通報する義務があるらしいけど、そんなことはしないよと、困惑の混じった微笑みをくれた。

「インフェルノが初めて求婚した相手を追い払ってみろ……俺は確実に……」
「焼死だね」
「ああその通り。ちなみにルールー、君がどこかでこの件を吹聴しても同じ結果になるからよくよく覚えておくように」
「……ぬくいのは好きだけど燃えるのは嫌だよ」
「俺もだ。湯浴みは熱めが好みだが」
「ンー、あたしはぬるいのにゆっくりがいいかな」

 二人がどこか緊張感に欠けたやり取りをする間に、僕の精根は尽きていく。 

──……これから……どうなる……の、かな……。

 気絶するように眠りに落ちて──……それからどのくらい時間が経ったか分からないけど、嗅覚に殴り起こされた。
 あまりに強すぎる香りが、一呼吸ごとに肺を埋め尽くすのだ。

「な、なに、これ……っ」

 むせながら半身を起こせば、真っ白だ。あの、綺麗な白い花だらけ。足の踏み場もない程に部屋は埋め尽くされ、壁の大穴の代わりにはめ込まれた大きな窓の傍にインフェルノがどっかと座って居る。それから、仏頂面の旦那様と、呆れ顔のルールーも。彼ら自身も、花びらまみれだった。

「おはよう、レナ」
「これ、ぜんぶ……?」
「そうだ。君が眠りに落ちてからせっせと……まあ、そのうち止めるだろうと放っておけば、一晩でこの有様だ……」
「これじゃ手当すんのも一苦労だよ」

 よいしょよいしょと花をかきわけ、僕に飲み物と食べ物を持って来てくれるルールーの苦労を見て、さすがに申し訳なくなったらしい。

「クゥン……」
 
 例の声で啼き項垂れたインフェルノがあまりにも可愛くて、僕は思わず笑ってしまった。

 そんな場合じゃないのに。インフェルノの求愛を受けることは普通に考えて出来ないし、ここに居ることさえ許されない存在の僕なのに。

『ありがとう、インフェルノ……とっても綺麗だよ』

 僕の喉は、すんなりそう言った。
 自分が竜の言葉を話したことに気付かずに、そう言っていた。


「レナ、今……何て? 竜の言葉、しゃべった?」

 ルールーに言われてはっとした。耳に残った自分の言葉は、思い返してみれば確かに意味を成していなかった。もう一度同じことを言えと言われたって、言えない。だって、ただの鳴き声だ。

「えっと……」

 困惑する僕の頬を、首を伸ばしたインフェルノが長い舌でぺろりと舐めた。そして、低く短く啼いて、それだけなのに、

『魂がお前を求めていた、探していた──……我が妃となってはくれまいか、レナ……緋色の乙女』

 どこからか荘厳な声が響いて来て、理解出来てしまう。
 そして、また僕は、僕の喉は、その返答が出来る。

『僕は……男というか、雄で……それで……殆ど人間だから、あなたのお嫁さんにはなれません』
『確かにお前は雄のようだ……だが、』

 インフェルノは、やや首をひねるようにして、それでも魂が求めるのだと告げる。

『もう抗えぬ、これは宿命である……しかし無理強いは出来ぬ……困惑しているのは我も同じだ、同じだが、……受け入れられるまで、我は永遠に花を運び続けねばならぬ……それもまた、緋竜の哀しき習性だ』

──習性……って。

 それは困る。とってもとっても困る。

「これ以上花を貰ったら、鼻がどうにかなっちゃうよ」正直に言えば、「クゥン」と緋色の竜は啼いた。神々しいまでの姿とその声の不似合いに、僕はまた笑いそうになった。「困った」とインフェルノは言っていた。どうしたらいいんだろうって。花を運びたくて今も落ち着かない、でも嫌われたくない……。

 その逡巡は、まるで僕と同じだった。神様じゃない。ただの生き物だ。それで僕も……ただの、生き物……。

「レナ」

 何か分かりそうになったその合間に、横入りして済まない、と旦那様が声を掛けてきた。

「教えてくれ。昨日から度々聞く、彼の情けない「クゥン」は一体どういう意味だ? なんともいえぬ心持ちだ。緋色の王をそのように鳴かせるのは後にも先にもレナだけだ。別の緋竜がその声で啼くのを聴いたことはあるのだが」

 聞けば、インフェルノにはお嫁さんの候補がそれはそれは大勢居たそうだ。まず連れて来られたのは純血種の緋竜の若い雌で、他所の楽園に棲む群れの中でも特に美しい一頭だった。ところが、いざ迎え入れたその竜に、当のインフェルノは全く興味を示さない。

「仕方がないから相手を次々変えた。純血にこだわるのも止めた……しかし誰を連れて来ても同じだった。雌の緋竜は元居た楽園に帰され……その去り際に残すのが此の「クゥン」だ。どういう意味だ」
「あ、あの……困ったって……花を運びたいけど……僕に、嫌われたくは、無いって」
「へえ! そんな長いの!」

 驚いたルールーと旦那様に、僕は声そのものが言葉ではないんだと、今日初めて知った竜との会話について、出来る限りの説明をした。僕は心に言葉を置くだけ、声はそれに合わせてなんとなく出る。そうするとインフェルノがその心の中の言葉を取りに来て、お返しを置いていくんだと。

「レナ、それは以前から……いや、違うな。君は昨夜初めて竜を見た……自然と可能になった、ということか……」

 その通りだ。一体一夜のうちに何が起きたんだろう。旦那様とインフェルノも意思疎通がある程度出来るらしいけど、それは「恐らくこうだろう」の範疇を超えることは無いらしい。身振り、声の低さ、高さ、表情……そういう「見える」「聞こえる」ものを積み重ね、お互い分かり合うようになり、僕を助けてくれたあの夜だって……ただ、インフェルノの「行かねばならぬ」という強い意思に従った末のことだと言う。

「会話が出来るとは……いよいよ分が悪い……」

 その独り言の意味が分からないうちに、旦那様は「しかし、ともかく今後だ」と明瞭な声で告げた。

 旦那様は、僕を「隠す」と言った。その上で、仲間の行方を追ってくれるとも言う。その決断で、利発を不安に変えたルールーの眉間の深さを見れば、旦那様やこの屋敷の皆にとって良い案ではないと分かったけれど、

「血だらけの君を助けた時に決めた。ここを楽園にしてやろうと、俺が、決めたんだ……レナ、俺はあの夜、何をした? あの男たちに金をやり、君を買い受けたな? つまり、君が今にも言いそうな……例えば「迷惑をかけたくない」等という遠慮をされる筋は無いし、遠慮されたところでインフェルノが許しはしない。そして、俺にとっても利がある。君はとても美しく、はっきり言ってとても好みだからそこに居るだけで嬉しい……というのは冗談で、竜と意思疎通可能な竜の血を通わせた君の存在そのものに大変興味がある。分からなかった竜の様々が、君を介して分かるかもしれん。だから──隠す」
「……」

 こうまできっぱりと言われてしまっては、僕にはもう、頷くことしか出来なかった。少し寂しげに見える微笑みさえも素敵な人で、僕は自分が純粋な「人間」だったら良かったのになあと思う。そうしたら、さっきの「冗談」を嬉しく受け取って、この素晴らしい場所で暮らすことが出来たのに。

 だけどその傍らで、もっと根源的な、僕の内側は悲しんでもいるのだ。
 僕がもし、宝石の瞳を持つ緋竜の真っすぐな求愛を、受け入れられる「竜」であったなら──今すぐにでも、ありもしない尾を絡ませ合いたい。
 背骨の終点に続く空白を、寂しく思うなんて。
 
──中途半端。

 僕は旦那様が言い聞かせる色々にこくんこくんと頷きながら、心の中でため息をついた。

+++

 
 それから数日後、傷の手当が自分で出来る程度になった頃、僕は屋敷を出ることになった。僕が「隠される」先は、虹の島の一角だ。そこは客人を招き楽園を見せるときに丁度死角になる滝の上の森の中にわざわざ建物を造ってくれたのだ。
 この屋敷にはルールー以外にもたくさんの人が居て、旦那様が連れ帰った「僕」の存在を知ってはいる。だけど、インフェルノがやたらと「僕」を気に入って、専用の世話係にすることにしたから屋敷には住ませないのだ、と説明したらしい。
 それで僕は結局、ルールー以外の誰とも顔を合わせることなく屋敷を出た。

「どうだ、触れられぬものを渡れはしないだろう?」

 インフェルノにまたがった僕の傍らで、目が覚める程青い色をした竜に乗った旦那様が微笑んだ。僕の胸はやっぱりぎゅっと痛んでしまうから、なるべくそっちは見ないようにした。
 旦那様を、僕はとても素敵だと思う。生まれて初めて何の代償も無く優しくしてくれた他人で、強くて美しくて……ちょっぴり、面白い人。
 だけど、そこまで。

 近づくほどに夢みたいに溶けて消える七色の橋──それは旦那様そのものだ。

 そして、触れても消えずに僕をざわめかせるもう一つの存在が、インフェルノ。僕はその大きな翼が羽ばたく度に彼の存在を全身で感じ、魂が近づいていくような不思議な感覚に囚われている。頭で考えているのじゃない。僕が里でどうしてもタハトを受け入れられなかった時と同じに、僕の魂はこれから、インフェルノの鋭いその爪で掴まれるのだろう。

──かわる……僕は、きっと……。

 インフェルノも悠々と入れる大きな建物をぐるりと見渡した僕は、予感よりももっと強い「決定事項」を示された気がしていた。だけどタハトの生家に連れ去られた時のような不快感は無い。
 
 柔らかな木の香り、程よく飾られた白い花……そして、ふかふかの羽毛が敷き詰められた寝床。あの屋敷と同じくらい……なんならそれよりも、安らぎを感じている。

「どうだ? レナ。随分とインフェルノがああしろこうしろと煩く言うのを叶えた結果は」
「……とても素敵です」
「食事は世話好きの竜に運ばせるし、俺もルールーもちょくちょく寄らせてもらうから、困りごとがあれば何なりと言っ……」

 そこで、インフェルノがドンと旦那様の背を突いた。『もういい、用は済んだ』彼はそう言って、旦那様は完全に理解していた。

「分かった分かった……出て行くからそう歯を剥くな……紳士、紳士であることを、忘れないでくれよ……レナの悲鳴が聞こえでもしたら、俺は……」

 インフェルノの「出ていけ」の圧が凄すぎて、その続きは聞くことが出来なかった。
 でも、聞けなくていいんだと思う。
 聞かない方が、良いんだと思う。

「グル……」
 
 頼みもしないのに、インフェルノは僕を大きな口でつまみ上げ、羽毛を敷き詰めた上に真っ白な布を掛けた場所へ横たえる。そうして、衣服から露出した脚を──包帯であちこちぐるぐるにまかれたそこを、突っついた……と思えば、牙や爪を使って、器用に剥がし始める。

「え……何、痛いよ……」

 鱗が剥がれたそこが空気に触れて、ちくちくと痛む。そこに、インフェルノの巨大な顔が近づいて、長い舌が伸ばされる。
 小さな小さな突起が並んだそれは、見た目の通りざらざらとした感触で、さっき頬を舐められた時もまあまあ痛かった。だから、もしもそれで僕の傷を舐めるつもりなら、ぜひぜひ、思いとどまって欲しいのだけど──。

「いっ……」

 心に置いた「やめて」を無視して、インフェルノが脚の先から衣服をめくりあげながら、舐め始めた。一番深くえぐれたところも容赦なく。

「あ、ッ……いた、痛い、……」

『レナの悲鳴が聞こえたら』旦那様はそう言っていた。叫べば、助けに来るんだろうか。でも、この行為はインフェルノが良かれと思ってしていることだ。里でも、獣達は傷を舐め合って治していた。だけど、だけどそれは、同じ種族同士だからであって……。

──……どうしよう……どうしよ……。

 だけどしばらく耐えつつ考える間に、おや、と思う。べろべろと脚を舐める行為は続いているのに、いつの間にか痛みが消えている。ぎゅっと閉じていた瞼を開けば、驚いた。

「鱗……が……」

 傷が消えただけではない。剥がされた鱗までもが、きらりと脚のそこここで光っていた。唾液でびちゃびちゃになった脚に触れて驚く僕を、インフェルノは顎と腕を使ってごろりと転がす。そうして、衣服を……僕が身にまとった全てを、さっきと同じように牙と爪で剥がし始めた。

「……あ、あ……ちょっと待って、舐めたら治せるって分かった、分かったけど……それは、」

 さすがに恥ずかしい……その訴えもやっぱり無視だ。僕はあっという間に丸裸にされて、全ての傷が癒えるまで、べろべろと舐めまわされた。脚を開かれ──元々、傷が無かったところまで。

「……や、や……っ……そこ、怪我、無、い……」

 インフェルノの舌はざらざらしてる、突起がある、だから、痛い、ん、だけ……ど。
 どうしてか、僕の息はどんどん上がってる。

「ンッ……ん」

 尻を舐められながら、白い布を掴む僕の手の甲が、きらきらと乳白色に光っている。こんなところまで鱗があったかと不思議に思うけど──。

 インフェルノの唾液がやけに暖かくて、最初ざらざらだったその舌も、その粘度を増した唾液を纏って随分と柔らかになって。そうして僕の心の中に、インフェルノはたくさんの言葉を重ねて置いていく。

『愛しい、愛しい、愛しい……』

 それは全部同じ言葉で、内から僕を溶かしてゆく。外も中もどろどろにされた僕は、自分の身体の一部がむくりと勃ち上がり、そこが弾けるのさえ気づけずにただ、緋色の王に翻弄されていた。

+++

 濃密な香りと、ぬちゅ、ぬちゃ、と祭りの屋台で飴の壺をかき回す大きな木匙の音がする。それは僕の身体をインフェルノが舐め続ける音だ。

──くらくら……する……おなかの、したのほう……ヘン……だし……。

 僕の視界は赤一色。美しく並んだ艷やかな鱗の縁は、星屑をそこへ並べて置いたようにきらきらチカチカと輝いている。青になったり金色になったり、虹の色を、順に繰り返す。

──綺麗……きれい、綺麗……。

 僕が心に言葉を置けば、インフェルノは即座に掠め取って、たらりと唾液を体に落とした。足に……全身に力が入らない。僕は羽毛の寝台の上でだらしなく脚を開き、インフェルノの舌先や手足にその形を変えられながら、人とも竜ともつかぬ声で鳴いている。

 僕の中を通う血が……竜の血が熱い。平凡だと思ってた。ちょっと変わった髪色ではあるけど、それだけだと思ってた。僕はほとんど人間だと……思ってた、のに。

「ンっ……は、あ……あ、ぁ、……っく、う、うう……」

 喉が時折、クルル、と痙攣したように震えるのが分かる。そうしようと思わないのに、そんな音が鳴るのだ。そして僕が喉を鳴らすたび、インフェルノも同じ音を返してきた。その音の奥には、問いが含まれている。

『我が妻となってはくれぬか……俺はお前に命を尽くす──愛し続ける……』

 問いに応えようと、僕の無い部分が無意識にふらりと持ち上がって空を切る。無いのだ。彼の求愛に応える術が……無い。
 そう……尾を絡ませ、生殖器を擦り合わせる動作が、求愛に応える動作が、僕には出来ない。

──……ど、して……分かる……どうして……どうしたら……。

 考えたい、少し、考えて──、

「……っ!」
 
 足先にあった舌がぬらぬらと這い上がり、べたりと僕の上半身に張り付いた。仰向けの僕に逆側から覆いかぶさるようにして、その柔らかな舌先が脚の間にぬるりと入り込んでいる。

 そうして……かすかにそこを、振るわせ始めた。散々あちこち舐め転がされてきたけれど、そのうごきは初めてで……両胸の頂きを押しつぶすように捏ねられるのも、はじめてで──舌先にくすぐられている僕の性器は、おかしな形と固さを持ったまま、耐えきれぬとばかりに高みに上りつめる。

「──ン──ッ……!……ッ!」

 細い腰がビクンと跳ねて、背をいっぱいに反らせながら、僕は何かをしぶかせた。さっきから、何度かこんなことが起きているような気がする……けど。

──わかん、ない……。

 もしかしたら僕は眠ってて、この熱もおかしな身体もインフェルノの「治療」じゃないのかもしれない。湯浴みをした、遠い過去の一日の、記憶なのかもしれない。

 寒くて凍えながら留守番をしていた幼い僕に、乾いた木片をたくさん担いでタハトがやって来た。彼はそれを燃やして湯を沸かし、布にたっぷりと含ませて、僕の身体を拭き清めながら、温めたのだった。だけど、

「……あ、……タハト兄ちゃ……そこ、は……」

 段々布が下腹部へ降りて行くから、「そんな汚いところは自分でする」って言った。だけどタハトは止めずに、脚を掴んで開こうとして──「やっ……!」叫んだ直後、母さんが騒々しく引き戸をガラガラと開ける音に、ぴたりと手を止めた。

『何故戻る……!』

 なんだか知らないけどタハトはすごく苛立って、母さんは真っ裸に布をまとっただけの僕をチラと見て、不機嫌なタハトに慌てて謝っていた。

『お世話を任せっぱなしじゃ悪いと思って……』
『遠慮は要らぬと……たまには休息を楽しめと言った筈だ……』

 しゅんとする母さんと一緒になって、僕はしゅんとした。自分のことは自分でやれ、お前は男なんだから──その約束を破ってしまったのがバレてしまった。きっと、後で母さんに叱られる……。

「クゥン」

 は、と現が戻って来た。切なげな瞳のインフェルノと視線が合って、顔を真っ赤にしてふうふう言っていた僕は、いつの間にか夢の縁へ転がり落ちそうになっていたことを知る。

 二度と戻りたくない……思い返すだけで吐き気が込み上げる一場面だった。こっちの方がいい。べたべたにされて何が何やら分からないし、僕は「いや」と言いはした。だけどあの里に身を置いていた僕が感じていた「嫌」とは全く別物だ。自分でもびっくりするくらい鱗だらけになった腕を伸ばし、大きな顎の下や、鼻筋をそっと撫でてみた。

「インフェルノ……違う……嫌じゃ、ない、よ……ちょっと、ついてけなかっただけ……で」

 インフェルノは肩幅を縮めてもう一度「クゥン」と鳴き、出たままだった舌を大きな口の中に引っ込めた。そうしてびちょびちょになった僕を、キラキラが消えたその身体で包み込み、冷えるのを防いでくれた。生温いと思った身体は、ぽかぽかと暖かだ。

 甘い香り、体温、どくどく、と強く打つ鼓動……そして僕自身のけだるさに、本物の眠りが誘われる。
 僕はあっという間に、眠りに落ちた。
 
 その夜、緋色の身体とふわふわの寝床に包まれて僕が見た夢は、青い空をインフェルノと共に飛ぶ夢だった。その夢の中の僕には翼が生えている。山鳥のそれを大きく大きくしたような、髪と同じ色をしたとてもきれいな羽だ。なんとも爽快で幸せで、途中で「夢だ」と分かってからも、目覚めるのが嫌だった。

「ちょっ……ちょっと、ちょっとちょっと、インフェルノ、どしてレナ裸なの、どして怪我治ってるの、どしてどしてどして……!」
「竜っぽい! とんでもなくレナが竜っぽくなっている! 興味深いにも程度があるだろう!」

 だから、興奮しすぎた旦那様とルールーの大声で叩き起こされるまで、ずうっと空を飛んでいた。

+++

「舐めて治療……そうか」

 ルールーが落としかけた朝食をすんでの所で受け止めた旦那様の口調は冷静だったけど、その口の端は、ピクピク震えていた。実際、続く言葉がしどろもどろだ。昨日に続いて今日も奇妙が起こったのだから、無理もないことだと思う。

「な、成程……緋竜の分泌液に治癒能力があることは知れていた……レナに塗っていた膏薬にも、無論……その分泌液が使用されている……が、ちょ、直接の投与が、最も効果的であったと……いう、訳だな……最もひどい……その、太腿の穴も、すっかり塞がったと……散々、散々、散々舐め尽くされて」

 僕は随分しつこく繰り返すなと思いつつこくんと頷いて、鱗が以前より増えたことも話した。そして、話すまでもなく、短く切られてしまった髪が、元通りの長さになっていることも。

「……美しいな」

 旦那様は一言そういうと、そっと手を伸ばして僕の頭を撫でかける。だけど、寸前でインフェルノの「グァ!」で引っ込めた。僕は苦笑して、旦那様はあからさまにムっと口をへの字に曲げる。

「小さい竜だなあ! オイ!」
「どっちもどっちだよ」

 間髪入れずルールーに宥められた旦那様は、チっと舌打ちをして、いくつか僕に伝言をした。今日は大事な客が屋敷に来るから、丘より下へは降りないで欲しい、ということだった。
 平和で繁栄していると思われた「こちら側」の世界にも、問題が起きているらしい。旦那様の旧友が楽園の守護者を務める緩衝地帯を挟んだ国で、大規模な自然災害が予見されているそうだ。

「近いうちに、たくさんの竜を預かることになるかもしれない。自然には抗えぬからな。それから、もし可能ならば君の里のことも少し話題に出してみようと思う。無論、竜の血のことは秘密にすると約束するよ」

 そうして二人が去り、僕はしみじみと鱗の並ぶ腕や脚を見た。インフェルノの「治療」の結果、明らかに竜性が強まっている。

──そのうち尻尾、生えるのかな……。

「ク」

 短い鳴き声に誘われて、僕はルールーが持って来て落としかけ、旦那様に救われた食事に手をつけた。
 傷が治り、よく眠ったお陰でお腹がぺこぺこだ。汁物、肉と魚が同時に乗った大皿、なんだかよく分からないふわふわの丸いものに、果汁まで。なんて豪華なんだろう。年に一度の収穫祝いだって、タハトの家に招かれたって、こんな御馳走にはありつけない。

「日々の糧に、感謝致します」

 お祈りをささげてまず喉を潤して、その美味しさにふうと息を吐き、食事のほうに取り掛かった……のだけど。

「……」

 何故だろう。こんなことを思うのはどう考えても失礼だし、おかしなことだと思うのだけど。

──不味い……。

 味がしないわけじゃない。味はする。だけど、不味い。なんだかこってりとあぶらっこいし、舌を刺すような刺激もある。

「ク、ク」

 インフェルノが、手を止めた僕を見て鼻先で何かを押しやった。
 それは四角く固まった焼き菓子のようなもので、彼用の食事だった。試してみろと、僕に言っているのだ。

 そこまで「竜っぽく」なっているのかと、俄かに受け入れがたくはある。でも、その大きな一欠片はやたらといい香りがして、僕の喉は自然とごくんと鳴る。そして齧ってみれば、自然と顔がほころんだ。
 甘さ、しょっぱさ、舌触り……全てが完璧に絡み合って、最高に美味しい。

「なにこれ……なに……?」

 はしゃぐ僕に、インフェルノは尻尾をぱたんぱたんと振って床を打つ。

『なんと……なんと愛らしい表情だ!』

 ぽんと心に置かれた言葉が、くすぐったくてたまらない。ふんふんと鼻を鳴らし、もっと食べろ、もっと身体を大きくしろとインフェルノに勧められるままに、僕はそのサクサクしたものをたくさん食べて、果汁もたくさん飲んだ。インフェルノも同じ果汁を大量に飲んでいたから、これは共通の飲み物らしい。

「……旦那様に、お願いしなくちゃね」

 僕は一層遠ざかった虹のことを思いながら、その分近づいたインフェルノにゆったりともたれかかる。くるりと巻き付いてくる尾を撫で、「これが欲しい」と昨日より強く願う。
 そうしたら、堂々とここに居られるのに。客が来るからと言って、隠れることもない。インフェルノの繁殖相手として、……。

──はんしょく、あいて……?

 自分の考えに、僕は純粋に驚いた。尾があったとしても、雄は雄なのだ。それとも里の伝説みたいに……タハトが言い続けたように、僕にもその可能性があるんだろうか。

「……どっちも遠い、気がするな」

 なんにしても、この居場所は最高だった。ちょっぴり手が寂しいのは、余りにも楽だから。
 これ程ゆったり過ごすのは、父さんが生きていた時以来だ。

 父さん……体は弱かったけど、優しかった父さん。僕にいろんな歌や、いろんな話をしてくれた。その大部分は、父さんの母さん……つまり、僕にそっくりだったというおばあさんからの伝え聞きで。

「……lala……a…ah……」

 何とはなしに、覚えた歌の一節をうたってみた。
 すると、今まで僕のことを優しく包んでいた尾が突然跳ねた。何事かと振り返れば、見開かれた緑の瞳が、すぐそばにある。

「……ごめん、何か、嫌だった……?」

 インフェルノは僕の問いかけに答えることなく、じっと僕のことを見る。言葉を置き返すことなく、ひたすらに見つめた末、離れた尾を、さっきよりもきつく巻き直した。

『もう離さぬ……』 

 その一言を重く置いた後、歌の続きがねだられた。僕は戸惑いながら、とぎれとぎれでうたってやり、そのうちインフェルノは眠ってしまってた。こんな無防備な姿を見るのは初めてだ。

──寝顔、カッコいいな……、

 それでも緩むことの無い立派な尾を撫でながら、窓の外の太陽が、だんだんと山の向こうに隠れてゆくのを、僕はずっと眺めていた。

 インフェルノに合わせた大きさの家だから、当然窓も大きい。夕焼けの空を、一日の終わりを惜しみ飛び交う竜の姿が見える。帰ろう、帰ろう……彼らは鳴き交わし、自らの巣へ戻る。

 そうして次に見えるのは、無数の星だ。インフェルノの輝きを持つ、広々とした虚空──それは、宝箱を開いたよう。
 里の夜は、アケハレの夜でさえ陰鬱だったのに。

「楽園……」

 けれど、その言葉にふさわしいこの場所で、心穏やかに過ごせたのは、ほんの数日だけだった。
  
「レナ……君は、俺が考えていた以上の存在のようだ……」

 夜更けに訪れた旦那様の青ざめた表情と性急さに、インフェルノがすっと立ち上がる。

 その勢いに舞い上がった無数の白い花弁は僕に、父さんの死者送りの儀式を鮮明に思い出させた。

「俺は口を滑らせなかったか……アレクシスは帰った……帰りはしたが……」

 旦那様の中でも、まだ整理がついていないらしい。僕は無意識で、立ち上がったインフェルノの背の突起に手を添えた。そして、苦り切った様子の旦那様が落ち着くのを待って、話を聞いた。

「赤藍の乙女の末裔かもって……? 僕が……? 里を継ぐ正統な血……?」

 そもそも赤藍の乙女とは何かと聞けば、かの壁に描かれた「はじまりの乙女」のことだった。かの壁には細工があり、上描きされたその顔料を剥がした下に現れたのは──。

「色とりどりの髪をした、美しい乙女だったよ……俺はその写しを見た。レナを描いたら、きっとそうだろうと思えるような不思議な色だった」

──上から、描いた……?

 何故そんなことを……何故旦那様の友達がそんなものを……唖然とする僕に、話す順序を間違えたと旦那様は銀の前髪をぐしゃぐしゃにする。そして、何よりも僕を驚かせる事実を告げた。

 旦那様の旧い友人でウェネーヌムという国の竜の守護者であるその人──アレクシス・エルラッハなる人が、僕の里を襲った張本人だったということだ。それは鱗だらけの禁忌者の僕を「見られないように」隠しておいてこっそり話したかった事……間もなく訪れる自然災害に関連していた。
 旦那様は分かりやすいよう最大限気を配って言葉を選びながら、だけど普段の様子よりは少し急いて、先を続けた。

 自然災害とは、ウェネーヌムで眠っていたと思われた海底火山が再び大噴火することを指していた。そうなれば、竜が暮らす楽園のみならず、ウェネーヌムという国自体が壊滅してしまうそうだ。あらゆる手段をもって噴火を止める方法を検討し、続けた実験も全て失敗し、いよいよ時が迫っているという。

「いつ噴火しても、おかしくない状況にある……」

 ウェネーヌム王が我が身可愛さを第一に、先ず自らとその一族を最も安全な場所へ逃がす準備をするのを目の当たりにし、エルラッハさんは考えた。どうすれば、愛すべき国を……竜達を救えるかを。

「無論、アレクシスは身勝手な王のように無慈悲ではない……国民も、文化も竜同様に愛している……そこで、知ったのが君たち、竜の血を宿した一族が暮らす里の存在だ。レナ、君は竜と話が出来る。仲間として認識されている……君はやすやすと乗ったが……インフェルノに限らず、竜はそうやすやすと人間を乗せるものではない」

 だけど、僕には出来る。
 旦那様が言うには、竜達を従わせることさえ出来る者が居るそうだ。
 
「レナ、一度試して欲しい……竜を従わせることが出来るか、出来ないか。その緋色は無論君の為ならば何でもするだろうが、そうでない他の竜に君が語りかけ、何かをさせられるかを知りたい……それがこの後の君の、安全に深く関わっている」

 驚く僕を、旦那様は外へ誘った。そしてまた要領が悪いと謝りながら、もどかしげに話した。

「話の順序が悪くて済まない……俺はかなり、混乱している」

 里の人間だからといって、全員が竜を操れるわけではない──それが、里の中から「竜に近く見える」屈強な若者と若い女性を選んで連れ帰り試した末に、エルラッハさんが出した結論だった。僕の里は、全滅したわけではなかったのだ。

「竜に指示して操れたのは、只一人のみ……竜性……と言うのだな、竜の血が濃く残り、君の里を牛耳っていた一族の男……誰だか見当がつくか? レナ」

 僕の頭に、赤い螺旋の腕が浮かんだ。

──タハト……。

「成る程……その男に婚約を迫られていたのか……それで俺が話す前に君の名が出たのだな……危ういところだった。彼は……タハトはアレクシスに協力するにあたって条件を出していた。レナという名の赤藍の髪を持った少年……つまり君を見つけ……渡すことだ」

──……!

「とにかくタハトは君への執着が激しいそうだ。君が手に入らぬなら協力しないと、自らの優位性を逆手に取り強く出ている……そしてアレクシスは別の理由で君が欲しい。赤藍の乙女の方が、竜を従わせる力が強いと奴は考えている……つまり、その能力が無いなら半分は安全と言える。アレクシスは、竜使いとして役立たなかった君の仲間については、興味を示していない」

 タハトの名を聞いただけで嫌悪が沸いて吐きそうだったのに、そんなことまで聞いてはもう平気でいられない。ガタガタ震え始めた両肩をぎゅっと抱いて「嫌だ」と言った声は涙声だ。インフェルノは翼を広げ、そんな僕を優しく包んで抱いてくれた。震えがおさまるように、そうしてくれた。 
 あたたまる。これは強いものだ。僕を護る、強いもの……僕は知ってる、彼を、彼の血を、魂を知っているんだ。

『インフェルノ……怖い、もっとぎゅってして』

 強まる力に、不安が吸いとられて行く。ふ、と息をついてその緑の瞳を見上げた時、また何かの一節が頭を掠める。それは、父さんの声だ。

『これは、特別な言葉だ……普段口にしてはいけない。本当に……レナが困ったときに……』
「……アレクシスは、」

 再び話を始めた旦那様の声で、その記憶の声は途切れた。けれど、父さんが口にした「言葉」だけは頭に残った。意味を……意味を思い出さなきゃならない。僕はこれからきっと──「本当に困る」

 エルラッハさんは、竜達をタハトに操らせ、他国に圧力をかけ侵略しようとしているそうだ。旦那様は、その計画への協力を依頼された。仲間に加われと。ウェネーヌムはこれから失う国土を新たな地に得て、エストレイアは領土を大きく広げる為に。

「俺は、その場で返答をしなかった……竜を脅しに使って侵略などとは言語道断だが、レナのことがある。アレクシスは里を襲った傭兵が金欲しさに里の女性を浚って娼館に売ったこと……その中にレナが入っていたこと……そして、レナだけが売れず傭兵どもに連れ去られたことまで突き止めている。俺は君を見つけたあのアジトに一度戻ったんだ……あの傭兵どもが許せず少々復讐……ではなく君の事情を聞こうとした。しかし、焼かれた後だった……焼いたのは、アレクシスだ」
「……」
「君が消えたあの場所は、ウェネーヌムとエストレイアの緩衝地……俺は、少なからず疑われている。あの夜、竜の様子に変化は無かったかとかなりしつこく聞かれた。屋根の破壊具合から、竜の関与は容易に想像がつく」

 ともかく一刻を争うからと、僕らは滝上の家を出て、旦那様は待機させていた青い竜で、僕はインフェルノに乗って、別の島へと向かう。そこは夜の中でもひときわ暗い、深い森に包まれた島──夜の島だ。

「彼らが最も活動的な時間だ……レナ、適当に何頭か呼び集めてみてくれ」
「て、てきとうに……って」

 なんて曖昧な指示だと思いつつ、この島に降り立った時からのざわめきで、僕には「それ」がとても簡単なことだと分かっていた。

『だれ だれ だれ』

 森の中は大合唱で、僕の心にはたくさんの疑問が置かれている。僕は胸に手を当てて、自己紹介をした。

『はじめまして、僕はレナ……竜の血が流れてる。皆に、会いたい……姿を見せ……』

 言い終わらぬうちに、森が鳴った。一斉に、目に見えぬ竜が、森ごと揺らしながら飛び立ったのだ。
 目の前に降り立たれても、どこにいるか分からないくらい真っ黒な竜達だ。つるりとした身体に平べったい顔……くりくりとした金色をした目に、見つめられていなければ。

『れな、れな、れな、れな、あそぼ』
「わ……かわいい……」

 インフェルノがフンと鼻を鳴らしたから、僕は「インフェルノはカッコいい」をすかさず心に置く。違う色の鼻息を吹いたインフェルノを横に、旦那様は興奮を隠さない。

「すごいな……レナ……! レナが居れば、どれほど彼らの管理が楽か……夜の竜はとにかく見え辛く、幼体時が長く我が儘だ。次の個体測定には、是非レナに手伝って欲しい……!」

 しばらく関心しきりだったけど、ふと瞳が暗くなる。

「……いや、それは……出来ぬ相談か……次の個体測定が出来るかすら、危ういのだから……やはりレナは、赤藍の乙女の末裔なのだな」

 辺りは光る彼らの瞳以外は真っ暗だったからよく分からなかったけど、その時旦那様は多分、寂しげな顔をしていたと思う。僕は「操れる人」つまり、エルラッハさんの探していた「竜使い」の一人で、かつ、タハトへの「餌」だ。

 滝上の家に戻ってからも、旦那様は独り言を口にしながら、思案を続けていた。

 エルラッハさんに、乱暴な考えは捨てて、素直に各国に救援を要請すべきだと宥めたい。ここ、エストレイアの国王にも掛け合うし、他の国も決してウェネーヌムを見捨てたりはしないことを、信じて欲しい。

 だけど、こうも予想した。きっとエルラッハさんは提案に首を縦に振らないだろうと。そして、断ればきっとこうなるだろうと、苦渋を整った顔面に滲ませた。

「……協力を拒めば、先ずエストレイアにウェネーヌムの竜が来るだろう……そして街を焼き払ってから、また俺の所へ来て「協力」しろと言う……奴は既に俺の知っている奴ではない……力を持ってしまったが故に、国を愛するが故に、正気を失ってしまったのだ……」

 そして、僕を見る。

「レナ……此処を君の楽園にしたかった……心底守ってやりたかったし、成長を待ってから……その……いや、何でもない、何でもなくはないが……」

 インフェルノに睨まれ咳払いをひとつした旦那様は、とにかく僕らに逃げろと言った。

「レナが見つからねばタハトが動かないとすれば、少なくとも噴火までの時間は稼げる……インフェルノ、レナと楽園の奥で潜め。こちらからの世話は絶つから、レナを護って欲しい……紳士的に、紳士的にな。俺はこれからとても忙しくなる。平和的方法で、侵略を阻止しなくては……」
「……」

 逃げろと言われて、それもインフェルノが一緒だと聞いて僕はほっとした。
 だけど──インフェルノは首を大きく振り、低く、長く唸った。表情が、瞳が、鋭くてちょっと怖い。

『無様なことだ……逃げ腰が竜の守護者を名乗るか』

 彼はそう言って、旦那様にも伝わっていた。

「しかし、他に……」

 苦いままの顔で呟いた旦那様はしばらく沈黙した。けれど「あ」と小さく声を上げ、銀の瞳を見開いた。

「そうか……レナだ、此処にはレナが居る……しかしアレクシスは知らない……つまり」
『左様。仕掛けるのは此方だ、主』

 インフェルノと旦那様は、とんでもないことを相談し始めた。ウェネーヌムにこちらから出向いて、そこの竜を全部浚って来る──なんてことを。
 僕の言うことのほうを、必ず竜たちは聞くから、って。

「大層愉快な案だ……アレクシスの竜も護れてイッセキニチョウだ」
「ま、まって……まって……そんな、出来ない……」

 イッセキニチョウの意味も何も分からず慌てる僕を、インフェルノが再び紅い翼で抱いた。

『案ずるな后よ……出来る。そして我は、お前を辱しめた輩を放ってはおかぬ』

 その男は百に裂いて古代種にくれてやる──恐ろしい咆哮をあげ牙を剥いたインフェルノに驚いた。彼に抱き締められ震えている間に僕は、タハトにこれまでされたことを思い出しては、心に置いてしまっていたらしい。

 旦那様を振り向けば、彼ももう、僕の知った余裕の表情を浮かべていた。

「……レナ、俺はここを君の楽園にしてみせる。だから協力を頼む……始めに話したろう? 何せここは、何時でも人手が足りん」

 さて行くか──呟いた旦那様に、インフェルは答える。

『何時なりと』

 その緋竜の、猛々しささえ超越した立ち姿に、僕は確かに王の証を見た。

+++

 旦那様とインフェルノの行動は早かった。まず僕を「古代種」なる竜の棲む島へ連れて行き、従わせられるか試した。古代種の純血種──それはかつて最終兵器と呼ばれた最古にして最も強い竜らしい。もしそのスゴい竜を僕が操れるのなら、旦那様達の計画に役立つに違いないということだった。

 だけど、その案は早々に却下になった。竜が嫌がる香りで封じ込められたその地を僕は鼻をつまみながら、旦那様は普通に進んでしばらく経ったとき、まだ何も呼びかけやしないのにその巨大な……岩山のような竜が轟音と、嵐かと間違う程の突風と共に現れて、僕を連れ去ろうとしたからだ。旦那様に抱き抱えられ駆ける僕らをインフェルノが咥えて、一閃の光のように飛び去るのにも、島を封鎖する塀ぎりぎりまで追って来た。余りの怖さに「あの言葉」を唱えようかと、僕は何度も思った。

『……我が妃を、力で……奪おうとするとは……古代の竜族にして尤も忌むべき下衆な一族よ……』

 インフェルノは竜が嫌がる香りに耐えて門を潜ったことにも、全力で逃げるのにも疲れ果て、さらに怒りで真っ赤……それは前からだけど、いつもより赤く見えるのは熱が籠っているからだろう。インフェルノの体からは、湯気がしゅうしゅうと立っていた。そして、気が収まる様子も無い。

『低脳な獣……許さぬ許さぬ許さぬ許さぬ……我が妃に邪な欲望を抱く輩は、誰であれ百に裂き塵となる迄焼き払う……』

 ハアハアと荒い息を吐きインフェルノは唸り続けている。

──激しいな……。

 追いかけられている間ずっと僕は怖かった。だけど、嬉しくもあった。僕が今欲しいもの……その一番には勿論平穏な暮らしがある。だけどその次に、尾が欲しい。嬉しい時に振れる、彼の愛を受け入れられる長い尾が。今も、お尻の辺りがむずむずしてる。

「見たことが無い剣幕だ……レナを見つけた時でも、これ程ではなかった」
「……」

 旦那様が、インフェルノは何を言っているのかと僕に尋ねたけれど、訳すのはやめておいた。

 そして古代種の協力を得るのを諦めた僕らは結局「何とかなる。何とかする」の旦那様の適当と、インフェルノの「我が妃ならば出来る」の妙な自信と共に、ウェネーヌムへ飛んだ。旦那様の青い竜も一緒だ。その青い竜は、ウェネーヌムを訪れた時に旦那様に一目惚れしたとかで強引について来た雌の竜で、旦那様を背に乗せうっとりしている。彼女の名前はメディシナール。何となく僕と立場が似てるからか、僕にも優しくしてくれる本当に綺麗な竜だ。ウェネーヌムの楽園の隅々まで知っていると胸を張る彼女が、今夜の案内係だ。

『レナ、まだ何も心に置かないで。あなたの波動はとてもつよい。楽園の竜が騒ぐかもしない』

 わかった、と僕は返事をするけど、何も考えるなと言われると逆に何やら考えてしまいそうだ。そんな僕にインフェルノは歌えと言った。僕が最初にインフェルノに歌った歌は竜の眠りを誘うものだから駄目らしい。今僕が歌うように言われているのは、ほんの数日、穏やかに滝上で暮らす間に思い出して歌ったものだ。

「そうか、伝承歌か……そのようなものがあるのだな。ではその眠りを誘う歌は、今回の作戦の仕上げに使うとしよう。そして今から歌うのはどのような効果があるのか、インフェルノ」
『誘われるのだ……声の元へ行かねばならぬ焦燥に駆られる。恐らく、レナが歌えば此の地の竜を、呼び寄せられるだろう』

 僕が訳すと「四六時中くっついていた癖に何を言うのか」と旦那様は苦笑して、見たメディシナールはふ、と笑う。

『主様はまだ恋を知らないのだわ。私が教えて差し上げたい』
「何だ? メディ? レナ、何と言ってる」

 僕はメディシナールと顔を合わせ、微笑みあった。

『内緒だね』
『ええ内緒』

 ウェネーヌムの巨大な湖が見えてきた。月の光を映すあの美しい湖が、危険な火山を抱いているのだ。
 その向こう側に広がるのが楽園だ。歌がどのくらい遠くまで届くか分からないから、見つからない程度に、でも可能な限り近くまで行くことにする。枝葉を揺らさぬよう、月に姿が映らぬよう、僕らはひっそりと、低く静かに飛ぶ。しかしその警戒はあまり必要がなかったようだ。その王国は、夜がいかに深いとしても、暗く……そして、とても静かだった。国王に放棄され、逃げる余裕と先のある国民が逃げた後の城下街は荒れており、残された人々は運命を受け入れようとしているのか諦めたのか、街灯さえ灯さず静かに戸を閉めていた。

 僕は誰もいない湖の縁に降り、歌う。

「ah……a──a」

 父から伝え聞いたその歌に言葉は無い。ただ、響きがあるだけだ。
 その少し寂しげな音階を発する僕に、赤い尾がくるりと巻き付く。そして翼にも包まれた。

「……インフェルノ……誰もお前からレナを取りはしない……」 

 旦那様が呆れたように言った時、湖面が揺れた。そのさざ波は、波紋を作りながら僕らの方へ押し寄せてくる。

──来た……!

「……レナ、歌を続けてくれ……このまま皆を引き連れ戻るぞ……!」

 エストレイアへ。 

 旦那様はひらりと青い竜に乗る。僕もなんだか分からぬうちにインフェルノと空に居て、声が枯れるまで歌い続け、枯れた後は心に歌を置き続けた。

『おいで、おいで、おいで』

 僕らは慣れた場所に着き、追ってきたたくさんの翼をあちこちへ誘導し、驚いたウォーレンの竜達に、ウェネーヌムで暮らしていたそれぞれの種族の王達に、事情を説明する。そうしてそ知らぬふりで、旦那様は屋敷へ、僕とインフェルノは滝上の家へ戻った。明け方か、それとも翌朝か。竜を奪うのには成功したけど、本当の戦いはこれからだ。
 僕は赤い鱗にしがみつき、自分とインフェルノのために枯れた声で眠りの歌をうたった。

「ウォーレン!!」

 それは、明け方だった。竜が一頭も居なくなった、皆一斉にエストレイアへ去った、どういうことだ──捲し立てるエルラッハさんに困り顔で対応している旦那様を、僕とインフェルノは息を潜めてこっそりと見てる。

 僕の体はがたがた震えていた。エルラッハさんが、彼を──タハトを、伴って来ていたからだ。

「こちらが聞きたい。目覚めてみれば楽園が満員御礼だ……彼が竜を操ったのでは?」
「そんなことはしていない」タハトは不思議なほど里に居たタハトのままで、答えている。螺旋の鱗の腕も、両側にしっかりあった。流石タハト……思ったその時だ。

 彼が唐突に、こちらを見た。

 僕の姿が見えるはずがない。インフェルノを隠すほどの大きな壁みたいな衝立があるし、距離だって十分取っている。事実、エルラッハさんは何も気にしてない。だけど、タハトだけはこちらを──僕を、見ていて──。

「レナ……そこにいるな……レナ……」

 僕に、気づいてる。
 レナ、レナ……俺のレナ……名前を呼びながら、のしのしと、タハトが体躯を揺らして一直線に向かって来る。どうしたのだと追いすがるエルラッハさんと青ざめる旦那様の制止を振り切り、もうタハトは、衝立のすぐ向こうだ。息を止めても、鼓動の音が聞こえそうな距離。

『あの……雄か……』

 僕を抱いていたインフェルノが口を大きく開いた。かと思うと、辺りの空気が歪むほどの、熱をそこから産み出してゆく。溶けそうな程のそれは怒りの熱だ。僕の為の、怒り。

「インフェルノ……!」
 
 僕は咄嗟に駄目だと叫んだ。タハトを殺すのが駄目なのか、インフェルノが本気でその口から炎を吐けば、屋敷じゅうが危険だから、エルラッハさんに僕らの企みがバレるから──そんな冷静な判断じゃない。それは、始まりだからだ。血が流れる戦いの、合図になってしまうから。

 見たくない、もう僕は、誰の血も、見たくない。誰が苦しめられるのも、痛みに叫ぶのも──例えそれが、侵略を企てるエルラッハさんでも……タハトでも。

「──!」

 僕はあの言葉を叫んでいた。本当に困った時以外は口にするなと父が穏やかに、けれど絶対的な声音で僕に告げた言葉を。

 眼前で衝立が燃え上がる。その炎は舐めるように壁へと広がり、美しい屋敷を見る間に地獄へ変えていく。タハトは獣毛のマントを脱ぎ捨て、咆哮を上げる。腰の剣を抜き振れば、インフェルノの炎は一時彼から追い払われる。

 そして僕は──。

「あ、あ、あ……あああ!」

 ミシミシと音を立てながら、転がり踞っている。何だ、何が起きてる。身体中の血や骨や肉が形を変えている。いたい、熱い、手の先が、脚の先が、別のものに造り変わっていくのが分かるし見える。だけど信じられない、だってこの指は、爪は……何も無かった所がとんでもないはやさで育ち、しゅるしゅると筋肉を纏い薄皮を纏い、分厚くなって鱗に覆われ……踊るようになびく赤藍の髪と同じに煌めく羽毛に覆われるそれは──。

『后』

 インフェルノが僕の変化に気付いた。タハトも、エルラッハさんも──旦那様も。

「……なんと……神々しい……」

 その呟きが誰のものだったのか分からない。だけど僕は、よろよろと立ち上がって言った。「止めて」と。「もうあなた方は、竜族に対して何も出来ない、僕がさせない」と──竜の言葉で、言った。

「どこからツッコんだらいいか分からないけど、……レナ、だよ……ね?」

 早朝の大火事に屋敷じゅうが目を覚まし、大騒ぎになった。旦那様が「俺だって分からん! こんなことがあるか!」と叫びながらも粛々と対応し、エルラッハさんとタハトはまだ呆然としてる。ちなみに僕も同じだ。姿形がとんでもなく変わり、集まって来た屋敷の子供たちに(何だか大勢いる)「新種の綺麗な竜がいる」と称された自分自身に戸惑いを越えて、思考停止状態だ。

 でもはっきりしていることがある。火山が爆発しても、もう侵略は起きない。起こせない。竜達は、僕の言うことを聞くからだ。それだけは、僕も事情を知る皆も、分かっている。

 ちょんちょん、と赤い顔が僕をつっついた。そして、僕の背骨から繋がった尾の先までを彼の立派な尾でひと撫ですると、焼け崩れた壁の穴から飛んで出る。僕の背にも山鳥のそれを巨大にしたような翼が生えていたから、ついて来いと言われているのかと思ったけど、違ったらしい。
 インフェルノはものすごい速さで点になり、そうしてまた戻って来た。大きな口に、白い花を一輪くわえて。

「……」

 僕はそれを鋭い爪の生えた手でぎくしゃくと受けとり緋色の体に抱きついた。そして──そして、さっきからむずむずしているその場所を──欲しくてたまらなかった長い尾を、彼の太い尾に巻き付ける。それ以上は今は出来ない……だって、何だか知らない大きな拍手に包まれていたから。
 その拍手を始めたのは、旦那様だ。「ここで祝福せぬ者は焼け死ぬぞ」朗らかに笑いながら言ってくれたけど、目の端に入ったタハトは座り込んだまま、ただ、僕を見ていただけだった。

『まだ恋を知らないのだわ』

 僕の頭には何故か、メディシナールの言葉が浮かんでた。

+++

「………あ、まって、まって、インフェルノ……まだお屋敷も大変だし、火山だって楽園だって……僕らだけ、こんな……」
『人語は分からぬな』
『待って』
『断る』

 僕はまだこの竜そっくりの体に慣れてないとか、疲れてるとか、色んな理由を並べ立てたけど、滝上の家へ僕を連れ去ったインフェルノは聞く耳を持ってない。そもそも、インフェルノの耳はどこだ。僕の顔は姿見に映した限りは人間で(それでも卒倒しそうだったけど)体だって竜っぽくなったはなったけど、翼や尾が無かったら、大きさはそれほど変わってない。

『待ってよう……インフェルノの、奥さんになるから……それは受けたから……』
『ならば良かろう』

 羽毛の寝床で、懇願する僕の尾のつけ根をインフェルノのざらざらの舌がそうっと這った。雷に打たれたように僕の体は波打ち、その間に大きな鼻面に身体をひっくり返された。緋色の巨体がすっかり上がった太陽を覆い隠して、部屋が薄暗いのは良かった。

『あ、っ……あ、──あ』

 傷だらけだった時の僕がされた「治療」に似た──だけど意味合いが僕にとっては違う行為が始まっても、恥ずかしさで息が出来なくなる程ではなかったから。何より、僕の中に「皆が大変な時に不謹慎だ」を越えた欲がある。ずっとこうしたいと願っていて、できなかったことが、出来る。

『あ……あ……ん、』

 手順も何も知らぬ僕を、インフェルノの赤い舌と、その下腹部が開いて伸びてきた、別の生き物のような性器が嬲る。大きな口から垂らされる唾液に覆われた、僕の身体の臍の下辺りが急激にむずむずとし始め、開くような感覚があった。何事かとつぶっていた目を恐る恐る開いてみれば、そこにグロテスクなものが頭を出していた。

「……あ! 嫌だ……! 何……!」

 つい叫んでそこに手をやろうとする僕を、インフェルノが笑う。そして自分は雄だったと言えば、もっと笑った。

『雌雄同体……珍しくはあるが、そのような種族は存在する……我の子を宿せ……愛しき者』

──子ども……僕、インフェルノの子ども……産むの……?

「……──あ! そ、そんなとこ……! だめ、駄目!」

 叫びながら、インフェルノの巨大な性器がつつくその孔が、何なのか分からない。だけど、そこは緩るりと開き、緋色の王を受け入れる準備を自らしている。濡れて、ひくひくとうごいて、王を煽るように翼を使って身体を持ち上げてその部分がさらに開くように掲げさえする。

「や、……っ僕、なにして……」

 尾はぱたんぱたんと地面を打って。
 早く早く、と腰が揺れている。
 僕は、恥ずかしすぎて燃えそうだ。今の僕は、インフェルノより赤いんじゃないだろうか。

「ん、あ、あ、あ……──っ!!」

 けれどその雄に腹が膨れるほどに貫かれれば、羞恥も他の何もかもは、インフェルノの身体で隠された太陽に焼かれて消えた。
 ぐちゅぐちゅと鳴る音に合わせて腰を擦り付け、抱えきれる筈の無い赤い鱗にしがみつき、子種が欲しい、と全身で訴えている。それと同時に与えられる快楽に、みっともなく涎を垂らしながら。

「も……だめ……、嫌、止めないで……」

 インフェルノは優しかった。僕の混乱と快楽の涙をなめとり、鱗から覗く小さな乳首をちろちろと舐め、妻にされているのにあやされる幼子のような気分にもなった。僕はクルルと喉を鳴らして安らぎ、けれど追い詰められ、昇っていく。
 空だ、見えない筈の空が見える。穏やかに竜が飛び交う、楽園の透明な空だ。

「っ──、っ、! っ……!」

 僕の性器がビクビクと痙攣し、粘った液を吐き出した。そうすると、呼応するようにインフェルノの性器を呑み込んだ孔がぎゅうと締まる。
 低く唸った緋色の竜がそこに注ぎ込んだ子種は僕の小さな身体で飲み干せる量じゃない。ぼこぼこと溢れたそれが勿体なくて、舐めたい衝動に駆られた僕は、本能で身体を起こし、引き抜かれたその性器に舌を這わせた。インフェルノの精液をまとったそこは甘く、僕はなんだか今度は赤子にもどったように、ぐっしょり濡れた下半身を晒け出し、そこを飽きるまで舐めていた。

『生涯……いや、生を終えても離さぬ……愛しき后よ……』

 僕はインフェルノの翼に包まれて、限りの無い幸福の湖を、彼と共に漂っていた。

 そうして、ウェネーヌム国が緩衝地帯や他国が出しあった新しい国土に移り、エストレイア楽園の預かりだった(本当は拉致なんなけど)竜達もそちらへ移った頃、僕の膨らんだ腹から子たちが出てきた。どんな姿をしているのだろうと、産みの苦しみの後の大汗を拭われながら、ドキドキしていたのだけど、

「……か、っわいい……え、かわいいよ……見て! 早く見て、レナ、インフェルノ……!」

 弾んで滲んだルールーの声と

「これは……たまらん……レナ、素晴らしい! 君こそが神だ……!」

 旦那様の感嘆の声に不安はかき消えた。
 唸り苦しむ僕があまりにも心配だったらしい、夜通し僕を舐めては花を渡し、また花を取って来るために飛び立つ、を繰り返していたインフェルノも、ぐるるる、と喉を鳴らしている。それは抑えきれない程強い感情が沸いた時、竜が鳴らす歓喜の音だ。

 僕の右腕に、産み落とした赤子がそうっと載せられる。そうして左腕にも、もう一人。

 右にはふわふわした僕の髪色をした羽毛につつまれ、ちいさなちいさな翼のついた、人間の顔をした赤子が。左にも僕の髪色でちいさな翼のついた……だけど顔はインフェルノを平たく小さくしたような、竜の顔がついていた。

「わ、わあ……なんか上手いこといった感じ……」

 僕の呟きに「正に」と旦那様が笑い、赤子たちは競って僕の胸元でごそごそとし始めた。そして鱗からはみ出たちいさな粒のような乳首を探しあて、ちゅうちゅうと吸い始める。

「純粋に羨ましいな!」

 旦那様がインフェルノに尾で打たれるのを横目に、僕はふたつのちいさな頭を撫でる。そして、両胸に与えられる痛いくらいの刺激に、溢れ出す涙を止めることが出来ない。

 何も持たないのに、奪われてきた。
 奪われた後も、まだ奪われた。
 痛くて苦しくて、悲しくて──だけど、神様に祈った僕の元へインフェルノが来た。
 
 天井を壊して彼が夜空を覆ったその時、僕はもう神の迎えが来たのだと思って──旦那様は違うと言ったけど、やっぱり間違いじゃなかった。インフェルノも、旦那様も神様だった。
 そして、僕だってもう、奪われるだけの存在じゃない。
 この子たちを──竜達を、護れる強さを持っている。

──父さんには、暫く会えそうにないや。

 心の中で呟くと、インフェルノがのしのしやってきて僕らを抱いた。その緋色の身体ごしに、幾本もの虹が見える。幻覚かもしれないけど、そこから手を振る父さんと……もう一人、僕に似た誰かが居て、僕は彼らに小さく手を振った。

 溢れんばかりの白い花に埋め尽くされた部屋は、光と幸福で満ちている。 
 ここは、楽園だ。

END

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