甘えんぼ殿様奮闘記

なんちゃって戦国時代コメディ

関ヶ原から十余年。美濃の国の一城に、岡安氏頼(おかやすうじより)なる齢二十を迎える三万石の城主があった。急逝した父から身の丈六尺の体躯を、美女と誉れ高い母からは秀麗な面を受け継いだ、どこから見ても立派な若殿である。

しかし旧来の家臣たちには長い間、この年若き城主について、密かに頭を痛めていることがあった。

「また臥せっておしまいになった。此度は何と」
「夕餉の、魚の骨が喉にかかったと……もう先は長くないと嘆いておいでです」

これである。

氏頼がなんやかやと理由をつけて寝込むのだ。それは魚のほんの小さな骨であり、入り込んだ羽虫に刺されたものであり、衣のほつれを凶事の前触れであるとするような小事であった。

そのたび医師を呼びまじないしを呼び、なんとか治そうと母君も家来も四苦八苦するがどうにもならず、ある日それはけろりと治る。

そうして城の者は次第に悟った。
この殿は、優しくされたいだけなのだと。
要は、甘えているだけなのだと。

「昨日の政務がなごうござましたからな……その、反動でござりましょう」
「しかしこう度々では……何か良い手は無いものか……」
「ぬしが諌められよ、何せ最古参なのだから」
「それで言うならば貴殿が高位でありましょう」

家来達は大きくため息をつき、代わる代わる臥せっている氏頼を訪ね、そして皆すごすごと戻ってきた。厳しくしようにも、どうしても出来ないのだ。

氏頼は岡安家直系のたった一人の男児であり、また幼き時より病弱で、かつ非常に愛らしかった。だから、城の者は皆それはそれは氏頼を大事に慈しんできた。咳ひとつで城中が大騒ぎになるのは日常茶飯時で、その先陣を切っていたのは何より彼らなのである。

凛々しい潤んだ瞳で「このように頼りない主で済まぬ」と言われるなり、彼らはたちまち操られでもしたかのようにどのような助けを欲しているのかと口々に尋ね、背をさすり、甲斐甲斐しく「偽の」薬湯を運ぶのだった。

しかしある日突然、その日々が終わりを告げる。若殿の身辺を手伝っていた小姓の一人が城を辞し、代わりにやって来た小姓のためである。

「よろしくお頼み申します!」
「元気が良いな。わしは病気がちだ。何かと世話になるぞ」
「何なりと、お申し付けくださいませ」

小姓・藤若(ふじわか)の澄んだ声を聞いたその時は、まだいつもの氏頼であった。元服を迎えているとは思えぬほどおさな顔の、しかししゃんとした佇まいをした藤若をひと目で氏頼は気に入った。また何から何まで甘えようと手ぐすねひいていたのである。

しかしその日の夕餉には、くるりとその考えは変わっていた。

「なんなのだこの小姓は! 少しも仕事をせぬではないか!」

氏頼が家来を呼びつけ指さす先には、散らばった塗りの箸とそっぽを向いて正座する藤若がいた。
白く小さな顎がことさらに尖って見えるのは、口がへの字を描いているからだ。

何の無礼があったのかと新しい小姓に問い詰めると、膝の上の拳をわなわなとふるわせてかれはその赤い唇を開いた。

「……わたくしは、赤子の世話をしに参ったのではござりませぬ故」

家来はあんぐりと口を開け、氏頼は顔を真っ赤にした。

「誰が赤子だ!」
「殿です、他に誰がおられますか? 我が家の5歳の弟でも箸ぐらい使えますよ。それを一から十まで世話せねばならぬとは赤子と同じでございましょう」
「な、何い!」

「……こ、こら! 口をつつしめ……」

止めかけた一人の家来を、残り三人が羽交い締めにした。眼だけでじっと合図する。
(どうやら「あーん」を断ったらしいな)
(これはこれは、好機であるぞ)
(この小姓、骨がある)

――うまくすれば、殿を変えられるかもしれぬぞ――

声なき声でやり取りをし合いひとつ大きく頷くと「暇を出す」「打ち首だ」などとわあわあやかましく騒いでいる氏頼に向かって最古参の家来がそっと膝を進めた。

「若殿……この者、かように無礼ものにつき、どこの屋敷でもすぐに暇を出されてしまいます」
「であろうな! 至極当然だ! 即刻追い払えい!」
「いえいえお待ちください。この藤若はひどく貧しい武家の長男でござりまして……家には幼ききょうだいが大勢腹を減らしているとか。どうかここは、ひとつ、殿の広きお心をお示しくださいませ」
「見て下さいあの仏頂面を。かわいらしい顔をしているのに、貧しすぎて笑うこともまともにできぬのです」

聞きつけた藤若は「何」という顔をしたものの、ふと真顔になった。
かれは無論貧しい武家の子などではなく、立派な家から選ばれた教養ある(かなり気の強い)若者である。すぐに家来達の意図するところに気がついた。

――なるほど、家臣も殿の我がままに手を焼いているのだな。

その聡明に輝くひとみがきらりと輝いたのを、氏頼は少しも気付いていない。ううんとうなって、「まあそこまで食い詰めているなら仕方があるまい」と先ほどの暴言を許した。

この若殿は箸の上げ下ろしもせぬような甘えん坊ではあったものの、気の毒なものを見つけると放ってはおけないという情に篤い一面もまた、持ち合わせていたのだ。

そしてその夜を境に、氏頼にとっては受難の、そして母と家臣達にとって願っていた日常が始まった。甘えるどころか最低限の世話しか受けられなくなった氏頼は、歯ぎしりしながらも自分で顔を拭き、衣を変え、使いつけぬ箸を持った。なのに体調は崩さない。いや、崩せないのだった。誰かを呼ぼうとすると、藤若がことさらに冷たい視線を向けるからだ。新しい小姓は、徹底して若殿を甘やかさなかった。

(……恩も感じず、この態度……! はじめかわいらしいなどと思ったのが間違いであったわ)

けれど氏頼は藤若を追い出すことはしなかった。それどころか、次第にどこか張り合うような様子が強くなってきた。苦手な野菜の煮付けや芋の煮っ転がしを食べてはどうだとばかりに藤若を見「ハッ」と鼻で笑われては悔しがる。

(くっ……こやつ。今に見ておれ)

氏頼はもともと馬鹿ではなかったから、初めて感じた対抗心を「ばね」にみるみるうちに何でも出来るようになった。家来達はそんな氏頼を褒めそやしたが、藤若は家来と違って全く褒めない。何をしてみせても小さく整った顔には「当たり前」と書かれていた。それは藤若にしてはわざとであったのだが、氏頼は知らぬことである。

(何故だ……何故皆のように褒めぬ。何故……笑わぬ。もう貧しくもないし……世話もかけておらぬのに)

相変わらず生意気な小姓のことを憎らしく思うよりも、氏頼の中には何故だという疑問のほうが大きく膨らみ始めた。

(それほどまでに、心の傷が深いのだろうか)

そう考えると、笑わずつんつんしている藤若の事が気になって仕方がない。手桶を運ぶのさえも細い腕には気の毒に見え、自らするようになったほどだ。

そんなある夜の夕餉のことだ。先日の一件で調理人の手でより注意深く抜かれているはずの魚の小骨が、氏頼の口からにゅっと出てきた。

「骨だ」
「生き物ですから、骨ぐらいありましょう。そのぐらい飲み込んでも死にませぬ」

冷たい顔で言い放つ藤若にやれやれと一息ついて、氏頼は大きな背を丸めて黙々と魚の骨を探し始めた。
このところきびきびと立ち働くようになった氏頼を見直しつつあった藤若だったが、その神経質な様には少々白けた。ところが少しもしない間に氏頼がいくつもの小さな骨を見つけ出しては抜くので、大層驚いた。

「なかなか、御上手にござりますな……かように小さな骨を見つけられるとは」

藤若は心から感心して、うっかり褒めてしまった。それを聞いた氏頼の喜びようといったら、初めて海を見た子どものそれを上回っていた。

「だろう! 眼は良いのだ……では、ぬしの膳の分も抜いてやろう!」
「えっ! いえ、それは」
「良い良い、家ではきょうだいの分も抜いてやっていたのだろう。苦労したな。おい、藤若の膳を持ってまいれ。いや、持ってこよう」
「殿……! お止めください」
「ははは、慌てるぬしを始めて見たわい」

止める間もなく自ら膳を運び、目の前でにこにこと小骨を抜く若殿を見て藤若はじんとどこかが痛んでこめかみを押さえた。けれど、痛んだのは頭ではないようだ。

「どうじゃ」
「……はあ……」
「はあではない! 出来栄えはどうだと聞いておる。ひとつの取り残しも無いぞ! さあ、心おきなく食すが良い!」

その無邪気な物言いに、藤若はついついうっかり破顔してしまった。
かろうじて、声を上げて笑うことだけは耐えた。

「なんと愛らしい……」

しかし我慢できなかったのは氏頼である。はじめて見た笑顔があまりにも可憐で見惚れてしまい、ついぽつりと漏らしてしまったのだ。

これは手厳しく叱られるかもしれない、と氏頼は身構えたが、藤若は奇妙に顔をゆがませて顔を真っ赤にして俯くばかりだ。明らかに、恥じ入っている様子が見て取れた。

「なんだ、容姿を褒められて恥ずかしいのか。はじめて見た時からそなたを愛らしいと思うておったぞ」

実は藤若は見目麗しかったが、そのような方面にはまるで疎かった。元来強気な性分だったためそのように言われたことが一度も無かったのだ――「生意気な」そう言われることは日常茶飯事であったけれど。

そう言ったのがまだ、何も出来ぬ頃の殿であったなら鼻で笑い飛ばせたであろうに、今は違う。純粋な気恥しさと、また不慣れな感情に翻弄されていつもの顔どころか声を発することすら出来ない。

「……あ、え、あ……っ」

その様子を見て、ますます氏頼は興奮する。

(な、なんと……これは、たまらん! 思わぬ弱点がそそるものだ)

「藤若!」
「わーっ!」

ふいに抱きよせられた藤若は、大声を上げて手当たり次第にひっかきまわり、膳をひっくり返しながら逃げようとした。氏頼はこれまでの冷たい態度を思い返し、なおの事かわいくて仕方が無くなった。

「待て藤若! 夜伽だ。小姓の仕事には夜伽があるぞ。おぬしは一度も務めていない」
「よ、よと……!」

これはいけないと思った藤若は、必死で逃れる術を考えた。

「ひゃ、ひゃくねん早い! 小骨取りをする殿など殿ではない! 政務を勤めてこその殿だ! 殿でないものの命令など聞けぬ!」
「ほほう、それならば殿と認めるはたらきをすれば従うということだな」
「へっ……」

待って待ってと大慌ての藤若を放り出し、その夜を境に氏頼はより一層働きに働いた。長らく壊れていた領地の水路の補修から野武士への慰撫、はたまた山城から出て外交までもを積極的に取り仕切る。その大きな変化に、家臣たちは涙を流し手を取り合って喜んだ。

「お食事や着替えをご自分でなさって、仮病もなくなった。それだけでも十分であったのに」
「一体何がどうしたのじゃ、のう、藤若」

訳が分かっている藤若は、赤い顔でひたすら下を向くばかり。

とうとう氏頼は幕府よりあらたな領地を与えられ10万石の領主となった。
その上、美濃の国の守護職まで拝命したのだった。

「さて、これでも殿ではないと申すか?」

そう言った氏頼の得意げな顔と言ったら。
小骨をとって褒められた時と、全く同じであったそうだ。

さて、問題はうぶな藤若が無事夜伽を務められたかについてだが、それは全くの杞憂だ。

何せ若殿はこれまで散々閨でも甘やかされてきた。

だから甘やかし方もまた、よく心得ていたのである。

おしまい

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