人生初のサンタはジョーカーを名乗る(gina しつこく改稿版)

 あ、俺の家、ハズレなんだ。ヤバイんだ。
 
 気づいたのは、高校に入学した時だった。
 小・中まで気づかなかったのは、自分よりもっとヤバそうな奴がいくらでも居たからだ。

 毎日同じ服だったり(夏も冬もいつも半袖だったけどなぜかいつも笑ってて不思議だった)元の色が分からないぐらいカッターシャツが黒ずんでたり(臭いも気になったけど俺も皆も黙認していた)、どこかしらいつも怪我してたり(ちょっと動き方が変わっていて運動は苦手そうだった)、払うべき学費か何かを払えと、担任に呼び出されている奴なんかざらに居た(先生も呼び出しが大変だろうと思った)。

 俺の家は最後のヤツで「佳乃君、これ、おうちの方に渡しておいてくれる?」そう言って、何度か「払込みのお願い」と書かれた紙を渡された。

 先生は、困ったような顔をしていた。本当に困っているのかどうかはわからなかったけれど、そういう顔をしないといけなかったのだろう。

 名目は様々、「三年生の総復習ドリル 400円」「給食費 3月から10月」等だった。毎回バラエティに富んでいたけれど、「命令」ではなく「お願い」で、ただ、その「お願い」をかなえるのは、なかなか困難だった。

 テーブルに置いておけば済むこともあったけど、ずっとそのままそこにあったり、丸めて転がっていることもあった。

 捨てようとしたけれど、ゴミ箱に命中しなかった──そんな風情でごみ箱の近くにあった。いろんな紙が、同じくゴミ箱のまわりに転がっていた。

 そういう時は、払える金額なら自分の財布から払い、当時存命だった祖母に渡して相談するかして凌いでいた。流石に「修学旅行費 〇万〇千円」は小・中共に無理だったから、「不参加」にマルをつけて勝手に提出した。

 それを出すと、やはり担任の先生は困った顔をしていた。でも、何も言わなかった。

 遊園地や景色が綺麗な場所に行きたくなかったわけでないけど、「関係ない」と思っていた。ただ、一日を生きて終えられたら上出来だった。

 学校に行けば色々と教われたし、友達と楽しく話が出来たし、自分には手に入らない漫画を読めたし、俺の家庭がヤバい方だとうことを察した上で、夕食まで招いてくれる友達も居た。

 けれど、その友達と一緒に進学した先で気が付いた。その友達の家はいつでも綺麗で、母親は起きてにこやかに微笑んでいらしたわけだけど、高校には、そういう家の人間しかいなかったのだ。

 みんな綺麗に片付いた家を持ち、にこやかに微笑んでいらっしゃる母親がいる。それが普通だなんて、ここはあまりにも間違った場所だった。

 見事に、俺だけだった。

 家庭調査票を自分で書いたのがバレて、親に書いてもらえと呼び出されたのも、制服が誰だか分からない誰かのお下がりだったのも(配られたプリントに従って、俺自身が申し込んだのだ。一揃い10万円の制服代を、貰えると思えなかったから)

 俺は、もっと偏差値ランクが下の高校に進学すべきだった。受験水準に達していたからといって、区内で二番目に進学したのは大変な間違いだった。

 その間違いを補填すべく、本来なら禁止のアルバイトを許可して貰えたのは僥倖だった。

「放課後」が消滅し「休み時間」が睡眠時間になったせいで、中学時代良くしてくれた友達と遊ぶ時間は、皆無になりはしたけれど。

 自分で金を稼げるようになったことは、それらを吹き飛ばすほど大きかった。父が暴れぬよう、そっと酒を買い足しておくことが出来たし、そうすれば酒瓶がとんでこないから掃除をしなくて済むし、たくさん飲めば、早く眠ってくれた。

 中学生の妹の装いが派手になり、おかしな男と付き合い始めたことはどうにも出来ないにせよ、「おなかすいた」「これ欲しい、みんな持ってる」とため息をつくその前に、数千円くらいなら置いてやれるようになった。

「ありがと、お兄ちゃん」

 妹が言ってくれるその一言が、何よりも嬉しかった。自分の身なりは洗濯機とシャワーが整えてくれる。だから、バイト代は、学校関係の費用と、飢えない程度の食費と、父の酒乱防止と、残れば全部妹にやった。

 母のことは無視だ。別に意地悪してるわけじゃない。あの人には、多分それが一番良いからそうしてた。誰にも何も言われず、部屋の隅でスマホを握りしめ、ソーシャルゲームの画面を点滅させることが幸せなのだ。

 うつろな目と、たまにうっすら微笑む口元を見て、そう思った。暗い部屋の中で、母の顔は青く輝いている。父に怒鳴られず、殴られない一日を過ごすこと。それが、母にとって最も幸福なのだ。

 こんなハズレの家ながら、俺はよく頑張ってると思う。誰も褒めてくれないけど、日付が変わりかけるギリギリの時間までバイトに費やしているにしては、中くらいの成績をキープしてるし、「また間違い? あーあ、どうしてくれんだこの誤発注」なんて店長に注意されるようなことも無かった。それにしても、どうしてみんなしてそんなにしょっちゅう誤発注するんだろうな。

 まあそれは置いといて、家はハズレだけど、俺自身はハズレではないと思う。
 誰も、気づいてくれないけど。

「お、今日佳乃いるじゃん。あれやろうぜ、クリスマスの飾りつけ」

 夕方シフトで出勤してきた、近くに住んでいる大学生の大倉さんが、俺を見るなり手を打った。

「佳乃君とペア楽だからな~!ラッキーラッキー」

 鼻歌交じりで大倉さんはバックヤードに消えたけど、俺の方も嬉しかった。

 大倉さんは頭も要領も良く(ついでに見た目も良く)、一緒だとすごく楽だった。(当然誤発注もしない)ペアになりたいぶっちぎりNO1だ。逆にペアになりたくないNO1は全く働かない店長、NO2はよく間違える上に噂話が大好きなオバチャン二名と、レジから何から間違えまくる女子大生のマリさんで同率。

 俺が唯一ペアになりたい大倉さんとシフトが合うのは一ヶ月に一回、あるか無いか。大倉さんのシフトは夜始まりばかりだから、当たり前なんだけど。

 だから本当に、今日はラッキーラッキーだ……きょうだけは。

「はいできた~。これ、窓際に吊ってって、テキト~に、佳乃のセンスでいいから」

 大倉さんは、器用に「クリスマスっぽいオブジェ」を画用紙やなんかで手作りしては俺に渡す。仕上げに「Merry X’mas」とオシャレな字で書かれた大きなポップの周りに金色のモールをまきつければ、ただのコンビニは、ほんの一時間でクリスマスになった。

「すげえクリスマスっぽいっすね」
「は、当たり前じゃねえか。クリスマスの飾りつけして正月になってたまるかよ」

 大倉さんは笑い、大倉さん目当ての女性客が(多分同じ大学の人たちだ)次々現れてはケーキの予約をした。

「ありがとね」大倉さんが爽やかに言えば、「いいよお、食べるかわかんないけど」と罪のない笑みを浮かべ、華やかな爪をひらひらさせた。

 純粋に、羨ましかった。

 ノルマについては、申し送りノートに書いてあったから知っている。「一人10台・取れなかった分は買取り」と書いてあり、俺は相当ガッカリしたものだ。10台なんて、無理に決まってる。我が家にクリスマスパーティは存在しないし、10個もケーキを抱えて帰るような「目につく」ことをしたくないし──要らぬものに貴重なバイト代が消えることが、何より痛手だった。プレゼントをもらうどころか、奪われるクリスマス──。

 何故、こんなイベントが存在するのだろう。そうか、あのにこやかに微笑む母親たちのためなのか。あんな母親が俺にはいないから、クリスマスももちろんない。あれは幻だ。この飾り付けも、幻──。

「これ、お前の名前書いといたからやるわ」
「え?」

 何かと振り向けば、大倉さんがケーキの予約票の控えを俺に手渡した。「予約担当者・佳乃」と書いてある。大倉さんの字だ。
 俺が書いたわけじゃないから当たり前なんだけど、不思議だった。俺以外の人間が俺の名を書いているということが、不思議だった。

「……あ……え、?」
「クリスマスプレゼント。いらね?」
「……あ、あの、でも、大倉さんは」
「そのうちまた集まるんじゃねえかな、別に買い取りでもいいし。寒そうな人に配り歩くよ、メリークリスマース!って。無差別サンタ」
「……──、」

 突然鼻の奥が痛くてたまらなくなって、慌てて俯く。
 薄っぺらな複写の紙は、全部で丁度10台分あった。薄っぺらなこれには、数万の価値がある。

 貰えない、そんな義理はないとなんとか言うと、あるんだと大倉さんは穏やかな声で語り掛けてきた。

 大富豪ってトランプゲーム知ってるか。
 アレで言えば、お前は永遠に悪いカードしか配られないプレイヤーみたいなもんだ。
 どれだけ工夫してもずっと負け続けて、一番いいカードを取られては要らないカードを押し付けられる。
 最高のカードがジャック1枚、6が三枚で他はバラ。毎回そんなもんだろ。絶対負ける──そこそこの手札なら勝てるぐらいのプレイヤーなのにさ。
 でも。

「ジョーカー一枚あれば勝てるんだ……革命起こして、勝てる」

 ぽかんとする俺に、大倉さんは愕然とする事実を告げた。
 俺の家族が、度々このコンビニを訪れては、多大な迷惑を掛けていたのだ。

 そして変わらぬ優しい声で、とてつもないことを言いだした。

「あの人たち、知らねんだな……16歳の高校生が、何時まで働けるか。コンビニの後で、佳乃が年齢ごまかしてどこでバイトしてるか。いつもいない、遊び回りやがって、ってキレてやがる……お前の妹はさ、脳みそ入ってない男にタバコとコンドームパシらされてて、父親は1.8ℓの酒ツケで買うっつって来て、母親はゲームのオマケつきの菓子万引きしてったぜ……適当に処理しといたけど」
「え、え、え……」

 やさしい声なのに、恐ろしいことを言う。

 全然知らなかった。可能なら知らないままでいたかったけれど、もう知ってしまった。
 
 俺はパニックになった。申し訳ないとぺこぺこして、バイトは辞めると言った。
 辞める。辞めるしかない。他の選択肢がない。

 でも大倉さんは首を振り、ニヤと笑って言った。「勝とうぜ」と。

「俺がお前のジョーカーになってやる。クソみたいな、お前の家のな……俺、普通に金持ちの家だし頭いいし顔広いし、イケると思う」
「……なんで、そんな、親切に、……」

 その問いに、大倉さんはまた意地悪く笑った。
 自分は社会福祉専攻なんだと。

「困難極める真面目な青少年を助けるのは、まともな大人の努めだろ?」

 やっぱり大倉さんは優しくて、浮かべる笑顔は少しだけ苦くて、俺が出会った困った顔をするだけの大人とは、全然違っていた。

+++

「……大嘘でしたね。思いっきり」
「そーね。あの日のシフトも、ケーキの大量予約も仕込みだからね」

 あれから2年、ソファーにだらりと寝転がった大倉さんは、宣言通りずっと俺の「ジョーカー」で居てくれた。

 俺は大倉さんの助けを大いに借りながら大学に進学し、ハズレカードの家を出て、社会人になった大倉さんととうとう一緒に住み始めた。

 途端、毎日好きだかわいいと連呼されるようになったけど、返事をしていないし、大倉さんもしないでいいという。しないでいいと言う割に、口だけでなく目でも態度でも好きだ好きだを伝えてくるから、それを無視するのはとても難しい。
 難しいから、すぐに返事をしたくなる。
 でも、返事は「恩返し」度数がゼロになるまで、しないで欲しいそうだ。

『そこだけは頼むな。弱みに付け込んで引っ張り込むのは、本物のジョーカーがやることだ』

 とはいえ、俺はもう結構前から決めている。

 あと数日に迫ったクリスマス。
 コンビニケーキを10台並べて、返事しようと決めている。

 とっとと言えばいいのに、ヘンに凝って焦らしている自分のことはいまいちわからない。
 本当は、もうバレてしまっているような気もするけど。

 ちなみに、大倉さんへの告白は、もう決めてある。

 俺の世界には、優しく微笑んでくれる母親はいません。
 酒乱じゃない父親も存在しないし、いたわってくれるかわいい妹もいない。
 いたわるどころか俺を探し回ってタカろうとするばかり。
 相変わらずハズレ家族のままだけれど、そのせいで──本来出会えなかった、大倉さんと出会えた。

 やっぱり俺自身はハズレじゃない。
 手札がハズレだっただけ。

 でも、あなたはジョーカーじゃない。
 生まれて初めて俺の元に来てくれた、サンタクロースです。
 俺は、サンタさんが大好きです。

 ……って、言おうと思う。
 長いし多分ダサいけど、ダサいことをいってもたぶん大倉さんは笑ってくれるはずだ。

 ちなみに当日、例のコンビニにケーキを引き取りに行ったものの、一人で持って帰のるが無理だということに気づいた俺は、大倉さんに車で迎えに来てもらうことになった訳だけど──そんなことは、どうでもいいや。
 

 大倉さんの爆笑と、
 デコレーションケーキの甘さが、どうでも良くしてしまった。

 

 

(おしまい)

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