8話 知らない男

「……働いてるのかって聞かれて頷いたらさ、今のお父さんだったらお母さんもきっと許すって……どうやら田宮さん、失職して家を追い出されたみたいだね……」

 しつこく追いかけて来るその子を巻くのに手間取った──ちーんと鼻をかむその手の甲に絆創膏をぺたんと貼ってやり、どうするつもりなんだと尋ねた。半ば、答えを分かっていて。

「……一度、帰ろうかなって……田宮さんに家族があるなら、色々……ちゃんとして来ないと」

 やっぱりだ。奏多ならそう言うと思った。さっき話した、帰りが遅くなった理由は広い意味では嘘じゃないだろうけど、実際は迷ってたんだろう。女の子と一緒に、家に帰るかどうかを。僕と違って奏多は優しい。泣く女の子を振り切って来るだけでも相当辛かったはずだ。「諦めたくない」の言葉にも、帰って来てからの行動にも、その気持ちが全部表れている。

「……僕が嫌って言ったらどうするん」
「……うん」
「うんとちゃうねん。田宮壱次は勝手に絶望して野垂れ死に寸前やったんやろ。そうなるまで放置しとった家族やで。別にほっといたらええやん」
「うん……」

 それきり、俯いてしまう。奏多は黒にアイボリーのラインが入ったニットの、胸のあたりをぎゅっと掴んでいる。娘さんに会って、田宮壱次の胸が痛んでいるのかもしれない。それか、田宮壱次の身体をのっとった形で生き返った良心の呵責を感じているのかもしれない。

「……僕を愛人にする気かよ……」

 呟けば、はっとようやく顔を上げて首を振る。

「でも田宮壱次に奥さんおるんやったら、僕は愛人やろ……奏多の大嫌いな二股やなあ」

 きょろっとした瞳が潤むのを見て、僕は自分を意地悪で最低な奴だと思う。こんなことを言ったら余計奏多が辛くなるのを分かってるくせに。

 でも、僕は不覚にもちょっと感動してもいた。信じられないような奇跡が起きてまた巡り合えて、僕以外の誰にも、両親にさえ会いに行こうとしなかった奏多が、やっぱり奏多なままなことに。

 誠実で真面目で、誰に対しても優しいままだってことに。

「……分かった。あったかいおうちに帰り……田宮壱次サン」
「やめてくれよ、すぐ帰って来るから。俺の家はここだから」

 その真実の、でも矛盾した言葉についカっとなる。

「さっき「一回帰る」って言ったの奏多やろ? 案外居心地いいかもしれへんで? 奥さん美人かもしれんし、奏多が好きなおっきくてはふはふ言う犬飼ってるかもしれんしな!」
「トモ!」 

 叫ぶみたいに僕の名前を呼んだ奏多に、両肩を掴まれた。強引に重なる唇から、意地っ張りな僕は思い切り顔を背けてしまう。

「やめろやデブ……!」
「デブじゃない。このニット1kgあるし、それからズボンと靴下で2kgあって合計3kgだから」
「どんな鋼鉄製やねん。ほんで勝手に目標1kg減らすなや!」
「今朝計ったら、81.5kgだったんだよ。つまり6日間で1kg減ったってわけ。それから、俺はもうメタボじゃないって。メタボの目安は腹囲85㎝以上で俺の今の腹囲は83.8㎝だから、全然メタボじゃない。あの山脇さんも言うんだから間違いない」

 まあまあギリやんか。
 あの山脇さんて誰やねん。

 唇が塞がれて、僕は上記二点をツッコめなかった。のしかかって全身を押しつぶして来る81.5kgへの「誤魔化すな」の抗議も鼻の奥が痛くて声が震えてしまって、ぎゅうっと胸の先を吸われたときにはもう、10kg減の約束もクリスマスプレゼントも吹っ飛んで、見知らぬ田宮・妻と田宮・娘への対抗心で一杯になっていた。

「わ、トモ。どうした……」

 分厚い胸板を押しながら下にもぐりこんでズボンのホックに手を掛ける。奏多は大慌てで両手をあちこちさ迷わせた。

「わ、わ、その位置その行動、もしかして期待しちゃって良い感じの?」
「うっさい、黙っとれ……」

 何度か手で慰めたことはあってもそこに口づけたことは無かった。だって、普通に知らないチンコだから。そもそもあんまりしないから。でも最早そんなことは言ってられない。奏多を取られたくない。

──また独りになるなんて絶対嫌や……!

 大きめの先端を口に含んで舌で転がせば、僕への愛撫の激しさの割には反応していなかったそこが、急速にデカくなっていく。

「ヤベ……俺、イケメン時代でも数えるほどしかトモにフェラされた記憶ない……のに、う、うあ……きもちい、なんか、田宮さんズルイ……」
「……あほか、意味不明なんじゃ、ん、む、」
「う、うわ、トモ……待って、出る、でちゃう、この身体早漏な上回復力ゼロだから……あんまりガッツリ吸われる、と……」
「む、むぐ、知っとるわ。オッサン、クソダサイ、っちゅう、ねん……あむ」
「トモ、フェラしてる時ぐらい、お口黙って……可愛さでさらに早漏が進んじゃ、あ……」

 もう、ムリ!

 叫んだ奏多が僕の顔を押しのけて、腰を掴む。親指で「久しぶり」と言いながら穴の具合を確かめて、「ローションが無いからゴメンネ」とゆっくり舌で襞を伸ばすようになぞり始めた。

「ン……っ……」
「かわい……すき、トモだけだよ……なんならこの姿をあいちゃんに見せてやる」
「だれ、……やねん、ン、♡」
「俺のムスメ……田宮愛、14歳……部活はバトミントン、好きな食べ物イチゴ、嫌いな食べ物しいたけ、お父さんとお風呂に入っていたのは7歳まで」

 生々しくてアウト……っ!

 思わず逃げた腰がひっぱられた。ずぶりと先端が沈んで、内壁を押し分けるように熱い昂りが入って来る。

「あ、! っう……!」
「トモ、どうこのチンコ、美味しい?」
「キモ……マジで下品や、あっん、あ♡」
「こっちは最高だよ……トモのちっちゃいお尻、お肌すべすべなのに中ドロドロで……」
「ぜ、全部お前の、唾液やし、っあ、ン、……あ、ふ。あ、」
「違うよ、トモが濡れてんの……え、何、今更」
「ン…ん…?」
「あなたが要らないって、言ったんじゃないか!」

──……え、何?

 奏多の叫び。

 それは久しぶりにガツガツ掘られる快感で溺れそうになっていた僕に、冷や水を浴びせるものだった。

「……かな、かなた、だれと、話して、」
「田宮サン待って。聞いて……俺は、トモの為に頑張ったんだよ……身体がやたら塩分欲しても、ポテトチップもラーメンもガマン、したし……しごと、だってさ、……本採用になる、ために……汚いことだってキツイ作業だって何だって率先してやって……今じゃバイトリーダー時給1500円……年明けからゴンドラ班に、入る予定なんだ……ゆくゆくは契約社員、狙ってん、だから……」

──エ? ゴンドラ班って、憧れの窓拭きゴンドラ班?

 じゃ、なくって。

「かなた、何、いっとん……誰と、話して……う……あ! あう!」

 バチンと尻が叩かれるように深く抉られた。奏多はもう何も言わない。荒く息をつきながら僕の名前を呼ぶだけ。でも「トモ君」って語尾に「君」をつける。「かわいいね、トモ君」「気持ち良いよ、トモ君」って──知らない人みたいに。

「かわいいココも、擦ってあげるね」

──……っ!

「い、いらん、触んな……っあ、嫌」
「イ、く……っ」
「や、あ、誰、今、誰」

 痛いくらいに僕の前をこすって強引にイかせて、勢いよく体内に精液をほとばしらせた背後の人が恐ろしい。ぎゅうと後ろから抱く腕を押しながら、半信半疑で振り返る。

「トモ……駄目だ、強い……奪い返され、そう」

 涙目の奏多が一瞬そこに居て

「ごめんねトモ君……と、奏多君」

 すぐに、知らない男の顔になった。

 上から降りて来るのは重たくて黒い幕。
 僕は意識を手放して、次に目を覚ますと奏多はいない。

 きっと、家に帰ったんだろう。

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