「先週と変わってへんな……82.5kg」
「そんな……! 嘘だ!」
「数字は嘘つかん。また来週な」
「あああ……」
ガックリ肩を落とす奏多(二週間でマイナス6㎏を達成するもその後二週間足踏中)の背中をぽんと叩いて、前回計量時と肉質が変わったことに驚いた。食事制限に加えてダイエットと収入増を目論んで清掃バイトを増やした効果もあって、奏多の肉体改造は間違いなく進んでいる。遥かに向上した見た目をダッチオーブン父さんの例を引っ張り出して説明するならば、部下の女子社員と社内不倫していそうな風情が加わったと言えば伝わるだろうか。体重が変わらないのは、減った脂肪が筋肉に置き換わってしまう為だと推測される。
「この体重計、壊れてる可能性無い? 初期不良も有りうるよな」
体重計に責任転嫁してカラカラ振る姿を見ると、もうオマケしてやっていいんじゃないかと思わなくもない。何故なら僕と奏多は毎晩同じ布団(下に敷いてるやつ)で寝ているから抱き枕感は残って欲しいし、寝落ちしない限り始まるお触りの度に、ガンガン奥を突かれたくてうずうずしてもいるからだ。
でも僕の口から出るのは「約束は約束や」のすげない言葉。
「もういいよ」と言って「やっぱりしたかったんだ♡」とニヤニヤされるのが恥ずかしくて必要以上にツンツンしてしまう。そんな自分の性格が呪わしい。
つまり、態度には出さないけど、僕だってこう思っている。
──バランスとかええから手っ取り早く体重だけ落とせばええねん!
でも奏多はヘンな生真面目さを発揮して、糖質制限やらタンパク質をササミにするとかいう地道な方法を必死に探していた。こうなったら一緒に耐えて、もし来週も無理だったら、もういっそ──。
──あ、アカン……キモいこと考えてもうた。
僕は一瞬浮かんだ考えにオエっとなってうつむいた。
来週の今日が丁度クリスマスだからって、自分をプレゼントにしようだなんて。
「どうしたの? トモ」
「なんもない……」
「そう? 何か考え事してそうに見えたけど? 誰かに迫られて困ってたりしないよね?」
奏多が「それお前やろ!」のツッコミ待ちをしながら僕を腕の中に入れ「それ俺だった! アハハ」とセルフツッコミするのを目を閉じて聞く。
僕はさっき浮かんだ寒いアイデアを「クリスマスプレゼント候補」の第一位の場所に置いておくことにした。
奏多と僕のクリスマスまでのカウントダウンは、幸せなままに過ぎていく。冬休みに入って、「|勅使河原《てしがわら》は(僕の苗字です)オッサンに洗脳されてる」そう沖田が言いふらしたせいで尚更居づらくなった大学に行かなくて済むのも嬉しいし、ゲーム三昧でいられるのも嬉しい。
──一人ってのは、寂しいけどな。
実家暮らしだった奏多はそんなに必死でバイトしなくたって良かったから、一昨年と去年の僕らは冬休み中ずっとゲームかエッチのどちらかをしていた。そのうち服を着るのが面倒になって裸でゲームをしていて、二人揃って風邪を引いて年越ししたのは良い思い出だ。
──今年は、気を付けよ……。
頑張っている奏多が風邪を引かないように、ゲームの時は服を着ておこうと心に決めた。
**
しかし好事魔多しとはよく言ったものだ。
それはクリスマスイブを明日に控えた夕方のこと。
いつもの通り、そろそろ帰ってくるころだとカーテンの隙間1cmからじっと覗いていた僕は、30分もそのままの状態だった。
夏の終わりのあの日のことが瞬時に思い出されて冷や汗が出て涙まで滲みだしたその時、黒いダウンジャケットに僕のマルチストライプのマフラーを巻いた奏多が、角を曲がってアパートの門をくぐるのが見えた。
「ただいま」
声と同時に扉が開いて、僕は犬みたいに走って……は行かずに奏多が買った座椅子で「ずっとゲームしてましたよ」の体でお帰り、と言った。「なんで30分も遅かったの」そんなこと僕に聞けるはずもなく、奏多の口からその理由が語られるのを待っていた。
でも奏多は「玉子が99円だったから今日は玉子丼かオムライスにしよう」と戦利品を僕に見せただけで、特に説明をしなかった。
気になったのが時間だけなら、僕はこんなにもやもやしなかったと思う。でもその夜の奏多はすごくヘンで、糖質制限中のはずなのにオムライスを普通に食べた後、封印したはずのカップラーメンを食べていた。
それだけじゃない。初日以来手をつけなかった日本酒を瓶ごと一気飲みだ。そのお酒は、僕と元通り恋人同士に戻れた時の祝杯用に取っておくと、奏多が決めたはずなのに。
「どないしたん……諦めたん?」
ダイエットを、僕を抱くのを、そのどちらの意味もこめて尋ねてみれば、帰って来たのは深い深いため息と重い沈黙だ。
「奏多……らしくないやん。なんとか言いや……今日帰り遅かったんと何か関係ある……」
ドン。
叩きつけるように瓶が置かれた。この部屋でついぞ立てられない鋭い音に僕は驚く。それから、
「──っわ」
乱暴にベッドに突き倒されたことにも。
「な、何、な……んっ」
強引に重ねられた唇から、アルコールの匂いが流れ込んで、さっきおかしな勢いで食べていたラーメンが醤油味だったことが分かる。
「う、うえ……サカる前にうがいして」
「トモ──嫌だ」
「は? それはこっちのセリフやって……」
「諦めたくないよ……」
「だから、何がやねん! ハッキリ言わんかいや!」
心底ムカついた僕は容赦なく奏多の股を蹴り飛ばそうとした──のだけど、寸前で踏みとどまった。頬にぽとりと、滴が落ちて来たから。それは奏多の大きな目からこぼれた涙だ。
この部屋に来てから一度だって見たことが無いそれが、僕の動きを止める。
そして僕に小さくゴメンと謝って、立ち上がった奏多が発した一言が、僕の時間も止めた。
「……帰り道、呼び止められたんだ……知らない女の子に──お父さん、って」
息を飲む僕に、奏多が手の甲を見せた。血管が浮いた皮膚に残るのは、かすかなひっかき傷だ。
それは「行かないで」と泣きながら引き留める、その子がつけた爪跡だった。