5話 揺るぎ無いもの

「俺の目見て説明して。あのオッサン、誰」

 引っ張って行かれたのは大学裏にある沖田の洒落た雰囲気の部屋だった。ウッドブラインドに覆われた窓の隣には観葉植物。壁にはマニアックな映画のチラシ的なものがぺたぺたと。いかにもSNS映えしそうな、彼らしい部屋だと思う。

 沖田と知り合って二年経つけど、部屋に足を踏み入れたのは勿論、真剣な表情と向き合うのも初めてだ。

「別に誰でもええやん……僕、大学戻りたいんやけど」
「あんな異常な光景見てほっとけるかよ。俺は聞いたぞ、トモが別れ際にバイバイ奏多って言うの。アレ、どう見ても桐ケ谷じゃないぞ。似ても似つかないからな?」

 知っとるわ。

「……僕は正気やし、頭も大丈夫や。奏多ってのはただのあだ名やねん。奏多っぽいところがあるから奏多って呼んでるだけ」
「は? あのオッサンのどこに桐ケ谷感があるんだよ。性別ぐらいじゃねえか」

 沖田は引き下がらず、手入れされたアーチ眉に不審を閉じこめて、あのオッサンは何者なんだとしつこく尋ねる。心配は分かるけど、いい加減うんざりだ。抗議をサボらされているからじゃなくて、この面倒な場から早く退散したい。

 僕は沖田にあのオッサンとのことを理解してもらう必要を感じていない。僕だけが納得していればいいことだ。

「もう、しつこいねん!」

 耐えきれなくなって、成り行き上一時的に一緒に暮らしていると雑に伝えて立ち上がる。

「沖田には関係ないやろ……! 別に僕が僕の家で誰と暮らそうが自由やんか」
「関係無くない!」

 玄関に向かいかけるけど、沖田が立ちふさがって通してくれない。ここから出さないって、何でやねん。

「トモ、寂しすぎて洗脳されちゃったんだな……寂しいんだったら、誰でもいいんだったら──俺と付き合おうよ」

──ハ?

「トモのこと前から可愛いと思ってたんだ。俺は奏多程イケメンじゃないけど、あのオッサンよりはマシな自信ある! 少なくとも若さの分だけだけは上!」

 若さだけ? 沖田の方が見た目は勝ってると思うけど。

「え、そう?」と喜ぶ沖田。雰囲気イケメンって女子に言われてる悲哀は分かるけど、それにしてもちょっと自己評価低すぎへんか。

「そうか? あのオッサン、オッサンにしたらカッコいいと思うけど。まあ、太目ではあるけど」

──ン?

「今何て言った?」
「え? 太目?」
「ちゃう、その前や。カッコイイって言わんかった?」

 ああ、と沖田は束感を気にするように指先で襟足の髪をねじった。

「……まあ、オッサンにしては、って話だよ。姿勢いいし顔も悪くないし清潔感あるし、……どことなくオシャレだし」
「嘘やろ! オッサンはオッサンやん! カッコイイとか……無、い……」

 言われて記憶を呼び返してみれば確かに、奏多はこの数週間で、特にバイトを初めてから、劇的に変わったかもしれない。部屋に居ても圧迫感をそれほど感じないし、来た当初買ったスウェットの布地も随分余ってる。それに、髪型だって買い物だって奏多が選ぶようなものを選ぶわけだから垢抜けてるし。

──……もしかして、客観的に見ればカッコいいとか……?

「ぼーっとしてないで俺のこと見ろよ、トモ」

 気付けばなんだかにじり寄られて沖田との距離がえらく詰まっていた、勿論沖田と付き合う気は皆無だし、沖田が男好きなんて聞いたことも無いし、それに確か。

「何アッサリ告ってんねん。沖田彼女おるやん!……えーっと、マリちゃん」
「マナとは別れるよ」

 あ、名前間違えてた……。じゃなくて。

「なんで別れるん……普通に仲良しやんか」
「トモと付き合えるなら全然惜しくないから。別れる」
「ふへ?」

 顎が外れそうになった僕に、沖田は言った。僕と奏多が付き合い出した時は仰天したと。男もアリだって知ってたら、自分も僕にアタックしたのにって。

「そのぐらい、入学した時からトモのことは可愛いと思ってた。相手があの桐ケ谷なら仕方ないけど、自称桐ケ谷のオッサンに取られるのは耐えられない」

 何言ってるんだろう。ちょっと意味分からない。

「なあ沖田、それヘンやで。じゃあ僕と付き合わんかったらマナちゃんとは別れへんってことやし、奏多が僕と付き合わんかったら、普通に友達続けてたってことやろ? そんなの──」

 僕にしたら、恋でも愛でも、無いと思う。

 あれは二年前の初夏。奏多と僕は大学の廊下ですれ違った。僕はカッコいいやつだなって思った。

『そのパンどこで売ってますか』

 三日後ぐらいにパンを食べていたら声を掛けられて、あの時のイケメンだと思いながら普通に店を教えたら、どこだか分からないと言う。

『……スマホで調べろや』
『そう来る? 一緒に行く流れじゃない?』
 
 その場に居たたくさんの人が突き刺して来た「そうだそうだ」の視線。
 期待に満ちた奏多のキラキラした目。

『実は三日前すれ違って……かわいいなと思って……これを機にお近づきに……これはつまり、ナンパなんだけど』

 僕は驚いて「キモいんじゃ!」叫んで逃げ出した。

 でもまた次の日食堂で捕まってしまって、今度はそのカレーどこで買えますかと尋ねられた。あまりに馬鹿馬鹿しくてつい笑ってしまって、それが奏多との始まりになった。

 あの日から今日に至るまで、奏多の僕への「好き」は一度も揺らいだことが無い。その中に、これがこうならこう、みたいな計算はひとつも無かった。

 だから僕にも響いたんだと思う。最初は頭のおかしなイケメンだと思っていたけど、毎日を過ごすようになって朝も迎えた頃にはもう、引き返せないぐらいに奏多にハマっていた。

 だから、奏多を失った寂しさを埋めると言ったって、一緒に暮らすのが誰でも良かったわけでは絶対に無い。

 あの日来たオッサンがホームレスだったから、外は寒いから、そんなのは全部言い訳だった。

 奏多だったから、きっとそれだけだった。

──家、帰りたい。

「トモ……見れば見るほど可愛い。生意気そうな唇も、強気な癖に細い腰も関東圏で守り続ける関西弁も全部かわいい……」

 どこで読んだか聞いたか知らない気持ち悪い台詞と共に僕の地雷(関東で関西弁であり続けること)を踏みながら、沖田が僕の頬に触れる。別に沖田は見知らぬ汚いオッサンではないのに、その慣れない肌の感触にぞわっと毛穴が開いた。

「オッサンの所になんか帰らせない。ここで暮らそう……俺がトモを悲しみの深淵から救うから」

 悲しみの深淵、という謎のワード。
 傾けられる顎。重なろうとする唇。
 
 圧倒的な、コレジャナイ感。

──……大学に友達、おらんくなるな。

 それは寂しいけれど、こうも気持ちがズレている上突然知らない引き出しをフルオープンにされてしまっては、友達付き合いを続けることは難しい。

 膝をぐっとまげて腰を落として、僕の身体を絡め取ろうとする腕をすり抜ける。そして、狙うは顎──じゃなくて、扉。

「ちょっと……トモ! 待てよ! 俺のほうがオッサンよりカッコいいって言ったじゃん!」

 背中から追って来る声を振り切って、僕は走った。家に居る方の──生きている方の奏多に会いたい。見た目なんか関係なく。

「奏多……!」

 居間に駆け込むなり、ギョッとした顔の奏多が居た。僕が朝脱いだパジャマを口元に当てて。

 下半身、丸出しで。

「わ、わ、わ、これはあの、別に、そういうんじゃ……」
「……何を、しとんねん……!」

 つい出来心で
 あまりの良い香りにもう耐えられなくて。
 いや、実はこれ二回目で。

 これは、僕が忘れたマフラーを取りに戻った時にしていた行動と全く同じ。慌てふためいてパンツを穿かずにズボンを穿いてしまってるところも同じ。

 だから僕も、あの日と同じ返しをした。要は──。

「……嘘」

 抱きついて、匂いを嗅がせてやるってことを。

「奏多は死んでもオッサンになっても、奏多やな」
 

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