2話 スキルシート

「特に危険は無いみたいだよ……安心して」

 僕が発した「助けて」の要請に基づいて部屋をウロつき回ったオッサンが、額に滲んだ汁を仕草だけ爽やかに拭っている。たかが1DKの探索に消耗激しすぎるけど、そこはいい。とっとと去ってくれ。

「僕の方が強いし……もう諦めてな。上着忘れんように……」

 え? とちゃうねん。その顔面できょとんとすんな。

「だから、帰れって言っとんねん……警察は、呼ばんといたるから」
「え? 俺が田宮壱次になったから? イケメンじゃないから? トモは俺の外見だけが好きだったのかよ?」

 重い問いかけやめろや。考慮できる次元とちゃうやろ。

「嘘だろ……生きてる俺とエッチするより、その写真見ながらヌイた方が良いって? そんなはず無いだろ?」

 アホか……「俺とエッチ」してヌケるのお前だけやん。

「──何でもいいから、出ていってくれへんかな……換気したいねん」
「……困るよ」

 子犬みたいな目で、オッサンが僕に触ろうとするのを目で刺した。オイ、「しょぼーん」って音声に出して言うな。

「はよ帰って」
「そんな……今更家には帰れないよ……俺はもう死んでるんだから……葬式終わって保険金も入って、生きてましたなんて言えないだろ。それに──田宮さんにも家が無いんだよ。だから……見た目は、これから頑張るからさ……ポテンシャルはあると思うんだよ。まだ46歳だし」

──…………は。

 ちょっと、僕どこから突っこめばええのかな。あくまでも奏多の生まれ変わり前提で話続けるところかな。46歳のポテンシャルの件かな。それとも……。

「なあオッサン……家無いって、仕事は」
「スキルシートによると、定職は無いみたいだよ」
「スキルシート……定職は無い……」

 そう、とオッサンは勝手知ったる風に食器棚から奏多ご愛用の琉球ガラスのぐい呑みを取り出した。そして冷蔵庫を開け、止める間もなく旅行先で奏多と買った、日本酒を注いで飲み干す。

「──うぅ……! 染みる! 一ヶ月ぶり!」

 勘に障るそれを二回繰り返し、すっかり顔が死に絶えた僕に明るい顔で向き直った。

「肝心なこと忘れてた……! 最初に説明が必要だったよね。俺が死んでから何があったかって……実は──」

 オッサンは、神妙な面持ちで話し始めた。

 死んだと思ったら「光輝く場所」に居て「神様」と自称する光の柱みたいなものに話しかけられたのだと。随分未練が強いから生き返らせてやっても良いけど、但し容れ物は使い物にならない。

 だから、生に未練が無さ過ぎて、身体から魂が迷い出てしまった容れ物を代わりに与える、と。やる気の無い人間よりもやる気がある人間に生きてもらった方が「神様が目指す世界作り」に都合がいい。だからある一定の条件を満たした死人にだけ、そんな選択を与えている──。

「俺は迷いなく頷いた。それで、選んだのがこの人の魂で……公園のベンチで目覚めれば、所持金二十五円、持ち物スキルシートのみ、だったってわけ」

 その「スキルシート」には容れ物たる田宮壱次の基礎的な情報が記載されていて、けれど住所と職業欄は空欄だったそうだ。一番気になる健康の欄については心配無用らしい。目についたのはメタボと血圧の高さぐらいだけだから。

──…………。

 四杯目を注いだオッサンが「生き返って良かった~~神様ありがとう~~」と天を仰いだ。

 僕が暫く黙ったままなことに頓着する様子は無い。この天然感、空気読めない感──思い出すのは、奏多だ。

「……あの日のことは後悔してるんだよ、二台前の車の様子がおかしいって気付いてたのに、車間距離を取らなかった。急いでたんだ……早くトモと一緒にイベント周回したくて。駄目だよな、急がば回れって昔から言うのにさ……お陰でこんなに到着が遅れちゃったよ」

 最後のてへへ、まで全部聞き終わった僕は、オッサン(46歳)の照れ顔を見ながら床にへたりこんだ。どうしたの、とちゃう。

──コイツ、おうち無いん……ほんで仕事もしてへんて、それ、ホームレス……やんか……。

 恐る恐る、ここに住む気か、と尋ねる。焦点が合わないように細心の注意を払っているけど、オッサンが屈託無い笑顔を浮かべるのが分かった。

「トモ、一緒に暮らしたいって言ってくれてたもんな! こんなタイミングで同棲に踏み切ることになるなんて予想外だよね……あ! そう考えたら、この魂選んで正解だったって言えるよね!」
「言えへんわ」
 
 でも。

「……今日は、居てもええ……」

 僕はオッサンに、とりあえず風呂に入ってくれとお願いした。エッと輝く瞳にそう言う意味じゃないと激しい意志をこめて睨み、タオルを押し付けた。着替えは、心底嫌だけど、奏多の為に買い置きしていた下着と、置きっぱなしの奏多の服を貸す。

 オッサンが風呂に消え、窓を開け放って一息ついた所で叫び声が聞こえた。何ごとかと声を掛けると「汚すぎて驚いた!」って……遅いわ!
 
──ああもう……なんやねん、コイツ……。

 僕は田宮壱次=桐ケ谷奏多については一ミリも信じていない。ただ、オッサンの言ったことは、間違ってない。

 無論神様云々の話では無くて、あの日の約束のことだ。

『奏多、今日ゲームしよ! 今日からイベントやで!』
『OK、オンライン? トモの家?』

 その質問に、僕は「家」と返事をした。その日奏多が教授の手伝いで、山奥の川に標本採集に行っていることを知っていて。

 行き先が僕の家じゃなかったら、奏多は一つ前のインターで降りていた。
 やり取りしたスマホは粉々に壊れ、血が付いていた。

 そんな僕に、後悔が残っていないわけがない。

 あのオッサンが、やたらと奏多とこの家に詳しいカラクリが何なのかは知らない。ただ、この正体不明のホームレスを間もなく年の瀬を迎える寒空に放り出すことは、僕にはとても出来なかった。

「ああ、さっぱりした!」

 そのぐらい、寂しかったの、だ……?

「──はあ? なんなんそれ?」

 ほかほかになったオッサンは、奏多がゆったり着ていたトレーナーを、プリントの絵柄が不明になるほどパツパツに、ハーフパンツは長ズボンに見えるほどのスタイルに着こなしていた。

 これは同じ洋服なのか。むしろ奏多と同じ「人類」カテゴリーに入れていいものか。

 しかし不思議なもので、小首を傾げて眉を寄せるその仕草も表情の作り方も、やっぱり奏多のそれだった。

 キモいことに、変わりはないけれど。

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