(最終話)転生失敗彼氏

 数日後、夜遅く鳴らされたチャイムに応じると、扉の向こうに田宮壱次がぬっと立っていた。

 1メートル隔てても酔っていることが分かるアルコール臭を纏い、挨拶もそこそこにずかずか上がりこんだかと思えば、何を勘違いしたのか抱き寄せて来る。当然の如く「何すんじゃボケ」と振り払うと、キョトン顔で驚かれた。

「どうして嫌がるの? せっかく来てあげたのに……寂しかっただろ?」

──……。

 理由を説明する気も、上から目線の「来てあげた」にツッコむ気も起きない。何で奏多は、こいつの魂が綺麗だなんて思ったんだろう。

「娘も嫁もおるくせに、クソ変態」
「わあ……口悪いなあ、可愛い顔して」

 一番言われたくない事を慣れた顔面と声でさらりと言われてしまう。なのに僕の喉はぎゅっと締まったまま、何も言い返せない。

 分かりやすく言えば、僕はただショックを受けていたのだ。ソファにドサリと腰かけた田宮壱次が、年齢相応の「ただのオッサン」に戻っていたことに。

 身体つきは奏多の地道なトレーニングで締まってる。だけど佇まいがだらしない。

 嬉しそうに「センスが良くなったって娘に褒められた」と引っ張るそれも確かに奏多が選んだシャツとセーターだけど、ボタンの開け方とか裾の入れ方とかそういう細かい部分が違うんだろう。

「おいでよ、トモ君♪」

 両手を広げるオッサンは下心を微塵も隠そうとせず、目をナメクジみたいに蕩けさせている。股間は勃起間違いなし。叶うならそこに飲みかけの強炭酸サイダーをブッ掛けてやりたい。だけどそうせずぐっと耐えている理由はただ一つ。奏多の魂の行方が知りたいからだ。

「……奏多どこいったん……」
「彼のことは申し訳無いけど知らないよ。きちんとお礼を言いたかったんだけど、あの夜以降、僕は僕のままだ……。記憶が途切れたりすることも無い。何故だか体が勝手に動いて、未経験の仕事が出来たりするけどね……」

 掃除のバイトは早く辞めたい──そう言っておっさんは、やれやれと肩を揉んだ。

「仕事もキツいけどそれ以外もキツいんだよな。やたら相談相談って、何かと思えばやれ旦那がどうとか子どもがどうとか。僕はババアの愚痴聞き係じゃないって……」

 癒されたい、また目の形をいやらしく軟体化させたオッサンの後ろに、奏多の優しい面影を思い出して重ねた。

──奏多。

 ただいまと帰って来る奏多は、身体は疲れてヘロヘロでも、いつも明るい顔をしていた。バイト仲間に貰ったよってお菓子を僕に投げて寄こして、今日も楽しかったって。同僚をババアだなんて思ってないし、愚痴を聞いてる自覚さえ無かったはずだ。

 内面と外見、どちらの方が大事なのか。そりゃどっちもって大概の人は言うだろう。

 でも僕は断言できる。
 大事なのは内面だ。人間を、その人を作っているのは魂だ。

 奏多と付き合いだした時、その比重は外見側に寄ってると思ってた。イケメンの奏多が言うから、やるから許されるんだって。でもそれが知らぬ間に内面側に寄っていたことを、奏多がオッサンになって戻って来た僕は思い知った。

 もし今仮に、イケメン奏多の姿の誰かが現れたって、僕は絶対そいつを好きにならない。そんな僕が、このオッサンを好きになるはずはない。

「おいおい、そんな泣きそうな顔するなよ。最後の門の前で、戻るなら今がラストチャンスだって言ったのは神様なんだから。怨むなら神様恨んで。それか……あっという間に生活を立て直して、前より僕をカッコ良くしてくれた奏多君を。彼が僕を変えてくれなかったら戻ろうなんてとても思わなかったもんな。最後の門の向こうも、良さそうっちゃ良さそうだったからね」
「……最後の、門」
「ああ、奏多君はもう、最後の門をくぐったんじゃないかな」

 僕はへたり込み、帰れと力なく呟いた。オッサンはそんな僕を強引に引っ張り上げて、吐息を耳に吹きかける。心配しないで、これからもちょくちょく来て抱いてあげるから、って。

「僕の下であんあん言ってたトモ君最高にかわいかったよ。男の子も良いもんだねえ。最後の門ならぬ新しい門くぐれたよ」

 悲しみも怒りも通り越して、僕は一旦ゼロになる。何を言われてるのか分からない。これからもって何だ。抱いてあげるからって何だ。僕が好きなのは奏多だ。僕が抱かれたかったのも抱かれたいのも奏多だ。

「お前は、奏多とちゃう……」
「しつこいなあ、同じだろ?」
「どこが同じやねん。性別ぐらいしか共通点無いんじゃ……お前は最低のオッサンや」

 言った瞬間、パチンと頬が打たれた。

「……もうちょっと、年長者への口のききかたに気をつけろよ」

 いい加減生意気だ、と胸倉が掴まれて突き倒された。もう一度ヤればいい子になるって言いながら服を引き剥がして来る。血走った目、舌舐めずりする口、肩に食い込む爪、全てが悲しみでしかない。奏多、お前は本当に酷い。僕に断りも無く死んだだけじゃなくて、希望を抱かせた上でこんなゴミを置いて行くなんて。

「娘さん……あいちゃんに悪いと思わんのか……あんた父親やろ」
 
 力で敵わないのは分かっているから「魂が綺麗」その奏多の言葉に一抹の希望を抱いて訴える。でもオッサンはその「良い父親」をやるために僕のことが必要なんだと、口に太い指を突っ込んできた。

「トモ君が男の子だから大丈夫……そうだよ、その手があったんだ。実は僕は会社で若い子に手を出しちゃってね、その子が妊娠して騒いだもんだから会社を追い出されちゃったんだよ……家族には普通にリストラって言って誤魔化したんだけど……事情が事情だから再就職が上手くいかなくて。そのうち家も追い出されちゃった」

「Aカップだと思えばかわいいな」と僕の乳首をツンツンと突っつくオッサンのあっけらかんとした様子を見上げて、僕は「ああ成程」と思った。確かにコイツの魂は綺麗かもしれない。さしずめ自分の事を「いつまでも少年の心を持ったピュアな男」ぐらいに思ってるんだろう。そこには罪の意識なんか欠片も無い。

──奏多、このオッサンは魂が綺麗なんちゃうよ……ただの頭空っぽのバカや。

 転落した理由だって、同情の余地ゼロ。ただ問題から逃げただけ──。

「……あ!」
 
 口の中を触っていた指が、僕のズボンの中に突っ込まれた。濡れた指の感触に僕はさすがに悲鳴を上げる。

「嫌や! キモイ! 普通にキモイ……! 触んな」

 息が酒臭い。全体的にそこはかとなく臭い。もしかしたらこれは魂の匂いなのかも。そんなことを考えながら力一杯抵抗していたら、視界に振りかぶった拳が見えた。殴られる、反射的に目を瞑った。

「奏多……! 助けて……!」

 鈍い音がする。ニ打目を避けようと顔を手で覆って身体を縮める。けどニ打目は無くて、そもそも一打目で殴られた場所が分からなくて、ドタバタ騒がしい音とオッサンの「なんだなんだ、イテテ」の声に目を開ける。

「え……っ」

 その光景に僕は目を疑った。宙を舞っているのは90度に曲がった座イス、奏多が初給料で買ったその座イスが二脚が、変わりばんこにオッサンに襲いかかって殴りつけているのだ。

「………は……」

 ウレタンとふわふわカバーに包まれたそれが当たったって大して痛くは無いだろう。でも座イスが宙を舞っている異常さにオッサンは大慌てで、僕はと言うと。

「あはははは!」

 大声をあげて笑っていた。

「座イスて……! 何に生まれ変わっとんねん……!」

 いつまでも止まない座イスの襲来に堪え切れなくなったらしい。オッサンはとうとう逃げ出した。

「おい! オッサン忘れもんやで!」

 靴を投げつけると「オッサンって言うな!」と振り返って睨みつけて来た。ホームレスになったオッサンがもう生きていたくないと思ったきっかけの言葉らしい。通りがかりの若者がパンをくれたのはいいけど、オッサンと呼ばれたのが屈辱だったそうだ。

「他は案外平気だったけどさ! オッサン呼びだけは耐えられない」
「しょうもな……ほんなら逆戻りせんように頑張れやオッサン」
「あーっ! また言った!」

 僕の背後でばたんばたんと座イスが踊っていて、僕の笑いは止まらない。オッサンが「トモ君にハメたかった」とメソメソ泣きながら去って、座イスのばたんばたんが収まった後もずっと笑っていた。笑いながら、泣いていた。

──またハイレベルな無機物に生まれ変わったなあ……。

 それからしばらく経って、そろそろ洗脳が解けたかと様子を見に来た沖田に僕は「オッサンは終了。これが新しく生まれ変わった奏多だよ」と目鼻をフェルトで作ってくっつけた座イス二脚を紹介した。沖田の魂がすごい勢いで僕から離れるのが見えた気がしたけど、明日から大学で何と呼ばれるんだろう。

 でも、何だって構わない。
 奏多がそこにいるなら、座イスだって石コロだってなんだって一向に構わない。

「あれ、奏多。今日はちょっとウレタンふんわりしとんちゃう? 僕が機嫌いいの分かった? 実は、明日から三連休やねん」

 僕はいつまでも、奏多と一緒にいる。

**

──クソ、誰や……っ!

 電気を消して布団にもぐってウトウトしかけた頃、チャイムが鳴らされた。8時に寝る僕が悪いのかもしれないけど、明日は大事な就職の最終面接だから早く寝たいのに。

──無視無視……。

 座椅子奏多一号を枕に、もう一度目を閉じる。でもチャイムは鳴りやまない。

「誰やねん……! 僕は一回起きたら寝られんタイプ……!」

 ブチ切れスタートで開けた扉の向こうに、地味な40歳くらいのオバサンが立っていた。同じアパートの住人だろうか。

「……でかい音でテレビ見とんのは僕とちゃいますよ……ベランダでたばこも吸ってへんしこっそり小型犬も飼ってへん」

 苛々しつつ最大限の丁寧さで話すと、オバサンは苦情を言いに来たのじゃないと首を振り、背中から何かを押しだした。

「実は……この子が。私の、甥っ子なんですけども」

 ぴょこんと顔を出したのは幼稚園児ぐらいの男の子だ。頬を真っ赤にして、利発そうな大きな目で、僕をじっと見上げている。ただ痛々しいことに、頬と額に大きなガーゼが貼られていて、片腕をギプスで固定して首から吊り下げていた。

「突然起き上がって、どうしても、あなたに会いたいって言うもんですから……夜分遅く、済みません……念の為お伺いしますけど、S大学人文学部哲学科4回生の、勅使河原朋章さん、好きな食べ物は大根もち、嫌いな食べ物は冬瓜、で間違いないですか……?」

──……。

「そうです……あの、その子……えらい怪我してるけど」

 ええ。とその子の叔母は目頭を拭う。一年半前の年末、その子の両親は車の事故で死んでしまったのだそうだ。その時この子は軽傷で生き残ったけれど、それからずっと一年半、誰とも口も聞かずに魂が抜けたように過ごしていたという。面倒をみていた叔母さんが心配してたくさんの医者に見せたけど、少しも元気にならない。

「それでとうとう、一昨日……私の目の前でベランダから飛び降りたんです」

 机の上には「天国に行く」と書かれていたそうだ。

「でもウチは三階で……植え込みもあったものだから助かって……もうどうしようと思っていたら急に、元気に話しだしたんです──あなたに、会いたいって。良く遊んでもらったんだって、この子は言うんですけど。ナントカって、テレビゲームで……」

──……な、なんやと……!

 思わず後ろを振り返る。目鼻のついた座イスが、こっちを見ている。「バカか」そんな顔で。

「かーくん、なんだっけ。ほら、ゲームの題名、えた……えた」
「エターナルタイズ」

 かーくん、と呼ばれたその子が明瞭な声で言った。

「永遠の絆ってゲームだよ。二人でやるんだ。息が合ってないとクリアできない……トモと俺……かなとは、さいきょうコンビ」

「そうそうそれそれ、えたーなるね」微笑む叔母さんの下で、じっと僕を見詰める瞳は釣り目。

「あの、勅使河原さん……またこの子と一緒に遊んでやって頂けますか?」
 
 コントローラーを操るにはまだちょっと手が小さい。
 実はもう、公式のサポートは終了していて、新たなステージもイベントも配信されない。

 でも僕が、頷かない訳無いだろう。

「勿論や……」

 叔母さんに見守られて、僕は小さい小指と指きりげんまんをする。
 とりあえず二人きりで話せたら、真っ先にこれだけはツッコませてもらう。名前より見た目より何よりも、まず年齢を選べって。

「あのな……ゲーム用の座イス面白いからお楽しみに……顔も名前もあんねん」

 奏多のかなとはぷっと吹き出して、イタズラっぽく僕を見た。

END

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