美を狩る者

Twitterの遊びタグでお題を頂いて書いた短編500字(バッドエンド)にハッピーエンドが大好きなお友達がその後の展開を考えてくれました。なのでその後を書き足して、3000字の短編ができました。最初のお題をくれたお友達と、その後の展開を考えてくれたお友達それぞれにイメージイラストをもらって嬉しかったので、サイトにも載せることにしました。絵はいいですねえ…

イラスト・よしこちゃん

 ぱたりと開いた扉から、ほっそりとした少年が現れた。
長い銀の髪は深い闇夜の下にあっても輝いて、その瞳はいかに地に伏せられようとも星々を隠しきれずに煌めいていた。

 彼がこの屋敷に入って一度月が満ちて欠けている。
表には無数の簡易な住居が組まれていた。
いずこともなく集まった者共が、屋敷の主の無事と彼の願いが叶うことを祈り、昼夜を問わず歌を捧げていた。

 期待を宿らせ顔を上げた者共に、しかし少年は首を振った。また失敗したのだ。
その少年の名も知らぬ者共は失望と共に落涙し、彼もまた、静かに涙を流した。世に名を馳せる芸術家がまたひとり、絶望の中で命を落としたのだ。

 彼の美しさを描きたい、我が筆に写しとりたい、皆はじめは画家として、造形家としてただ彼をモチーフに望んだだけだったのだ。けれど誰一人として、彼の美を描き切ることは出来ない。その熱はやがて妄執となり凶気になった。そうして彼は、寝食を忘れアトリエで息耐えた創作家を残して屋敷を、、街を去り、そうして闇夜に紛れて消える。
彼に名は無い。しかし役目はあったこの世界からあらゆる美を消し去ることだ。

──きりがないよ父様……それに、苦しい。

 彼は銀の髪をひと撫でして漆黒に変え、同じ色の翼を広げ飛び立った。成果を父に…混沌を愛でる王に告げるために。
 そうしてまた、新たな使命を帯びるのだ。

+++

 天使に会った。比喩ではなく、本物の天使だ。この地に珍しく積雪があった朝、太陽を反射する白の眩しさに目を細めた先に、居たのだ。
 彼は裸足で……いや、実のところ裸足よりもほぼ裸のような姿に先に目が行ったわけだけど、それは良くないと落とした視線の先が裸足だったのだ。

 長い髪は銀、この距離からでも美しいと分かる少年。年の頃は「まともな育ち」であれば学院で制服を着ている頃。しかしあの様子、どこかの奴隷が逃げてきたのだろうか……などという想像は、ちらつく雪に溶けた。それほど彼は美しかった。翼はない、頭上に金の輪も無いけれど、あのように美しい人間が居る筈はないのだから、天使で違いない。

 僕は真っ直ぐこちらへ来る彼に駆け寄って、小さい我が家に招き入れた。胸が高鳴る。だって天使だ。これ程迄に素晴らしいモチーフがあるだろうか? 僕は何か描けば買い手がつき、生計の立つ画家ではあるが、本心から美しいと思ったものしか描かない。だから貴族様のお抱え画家にはなれずに、風景や花ばかり描いて平凡に暮らしている。

 しかしモチーフが天使ならば話は別だ。行く場所がない、記憶もないという彼に、僕はいつまででも居て良いからと絵筆を見せた。代わりに君を描かせておくれ、と。

 彼は全裸になることも厭わず、存分にその姿を描かせてくれた。性的な官能を煽るポーズでも描かせてくれそうだったけれど、そんなことを望むのは画家の名折れだ、僕は彼を描きたい、ただこのキャンバスに写しとりたい。

 しかしなんという幸福か……。苦しさはある。描いても描いてもどこかが足りぬ。これではただの美しい子だ。もっと他の要素が……そうだ。

「君、君の幸福を教えてくれないか、あと、名前…忘れてしまったというけど、名前があるとしたら、どんな名前が好きだろう。ああ、それから……」

 彼は宝石の瞳を大きく見開いた。そしてぽつぽつと楽器の声で答えてくれる。あたたかな春。空の青。雲の重なりから、透ける月。好きな食べ物は全部。ここで食べるものは全部美味しい、でもとりわけあなたが絵につかうパン。そのはしっこが好き……僕はニヤニヤ笑いを止められず、彼の希望で名前もつけさせてもらった。初めて呼んだときの彼といったら。もう、彼を描く必要はない──そう思うほどの美しさだった。絵もどうでも良くなった。風景も花も、彼と生きる糧として描けば良い。
 そんな邪な僕の絵は、ところがさらに高値で売れるようになった。僕の幸福が乗り移り、絵筆に魔法がかかったのだ。

 彼を描きながら、僕は生きるための絵を描いた。平凡だと思われた僕の生活は、彼の出現により天国へと変わった。

 しかし、月が一巡りした頃のこと。僕は両腕を失った。穏やかな山が何の前触れもなく雪崩を起こし、家ごと潰されてしまったのだ。辛うじて命は助かったが、崩れて来た屋根の梁に長い間腕を挟まれた所為で、切断せざるを得なかったのだ。しかし不幸になったわけではない。彼はあれだけの惨禍にあって、無傷だったのだ。

 けれど彼は「もう、描けないね」とぽろぽろ涙を流し、それだけではなく「行かなくちゃ」とうなだれる。これまでに稼いだ金があるから大丈夫だと宥めても、腕を失った僕を手伝ってはくれないかと平身低頭頼んでみても、頑なに受け入れない。絵が描けなくなったから行くのだとしか答えない。どこへ、と聞いても答えない。

 だから僕はバカを言うなとにやりと笑い、足指に絵筆を挟みこみ、まあまあ、いや、かなり相当苦労して、絵を描いた。それは彼の笑顔の絵だ。日々の暮らしの中で見続けたその笑顔を、描いた。

「……ほらご覧、グラナダ……僕の作品のなかで、一番の出来だ……」
 
 僕が彼につけた名は、かつて……ほんの数年前に消滅した異国の名だ。美しく素晴らしい地だったというその場所が、彼に似合いだと思ってつけた。

「……ああ……」

 グラナダは細い手でキャンバスを見つめて吐息ともつかぬ声を漏らし、そうしてそのまま表へ駆け出した。一体どうしたというのだろう。

「父様……! 父様……! 止めて……お止めください! この人を殺さないで!」

 空に向かって手を広げ、グラナダは叫び始めた。その細い背には、黒い翼が生えている。やはり彼は天の者だったようだ。事情は、よく分からないけれど。

「父様……!」

 そして僕は、もうじき死ぬらしい。
 何にしても、悔いは無い。

 雲ひとつ無かった晴天に、みるみる暗雲がたちこめる。不自然なほどに黒く沈んだ空のそこここで、雷がはぜている。

「父様! 父様…! 僕も一緒にこの人と…!」

 グラナダが叫ぶと同時に、迸る電流が見えた。それは僕をめがけて落ちてくる。黒い翼を広げたグラナダは隼のごとく飛び立って、両腕の無い僕を小さな身体で抱き締めようとする。しかし間に合わない。
 焼け焦げる自らを感じながら僕は思う。グラナダと出会ってからの僕は彼のことばかりで、名乗ってさえいなかったな、と。

 最後に見た空には涙を流すグラナダと、大きな光る十字が浮かんでいた。

+++

 山あいの丘に、両腕を無くした画家と、美しい助手が住んでいる。彼が足や口を駆使して描く絵は素晴らしく、他国の王さえこぞって欲しがる。選ぶモチーフは独特で、翼が六枚もある純白の鳥や、暗雲と雷に大きな十字が現れた空もある。しかし決して売らぬ絵がある。それは彼が助手を描いた連作だ。

「持って帰らねば罰を受けます」使者が床に頭を擦り付け大金を積んで頼んでも、目に焼き付けて帰れと言い放ち、けれど一枚の複写は渡してやった。大喜びの使者が真っ白な羽で天上へ飛び立つのを見送り、彼らはふふ、と微笑みあう。

「……旦那様、今夜の夕げは何にしましょう?」
「そうだな……たくさんお金が入ったし、りっぱな肉も頂いたから、少々豪勢にいこう、それから……」

 画家が無い腕を振り助手を呼び寄せ何やら耳打ちすれば、彼の白い頬が真っ赤に染まる。

「だ、だんなさま……僕は、きっとまたおかしくなって、汚ならしいぼろぼろの翼を出して……」
 
 画家は汚いものかと笑い、顎と肩で助手を抱き締めた。

「僕を守ってくれた天使グラナダ……夜は、ちゃんと僕の名を呼んでくれよ……さあもう邪魔者はいないから練習だ。僕の名は?」

 真っ赤な顔を両手で隠し、その隙間から、グラナダはごく小さな声で画家の名を呼んだ。それは鈴をかすかに鳴らした程の小声であったが、嫉妬した空はそれさえ聞き逃すことは無く、ひととき雷音を唸らせた。
 画家は苦笑し、天上を見上げる。君の父君は、いつまでも君を手放してはくれないな、と。

「僕も離しやしないけどね」

 助手は美を狩る混沌の王の子。
 そして両腕の無い画家は、平常下界に無関心の神にさえ愛される、唯一の芸術家だ。

 小さな家の竈から、良い香りが立ち上る。今夜はきっと、大雨が降ったり止んだりの忙しい夜になる。
 しかし寝台の彼らは気に留めず、甘美な愛に満たされることだろう。
 それはあの雷の夜から八年を経た今も、これからの長い年月でも、変わることは無い。

イラスト 佐藤みたおさん(@sattonMS )
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